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一般財団法人 日本文化興隆財団

宮中祭祀とは

宮中祭祀とは何か

宮中祭祀とは、宮中で天皇が親しく行われる祭祀をいい、その起源は、『日本書紀』に記されている「神勅(しんちょく)」に求めることができます。その第一は、天照大神(あまてらすおおみかみ)が天孫降臨(てんそんこうりん)に際して、「此の宝鏡を視まさむこと、常に吾を視るがごとくすべし。ともに床(みあらか)を同(おなじ)くし殿を共にして、齋鏡(いはひのかがみ)とすべし」とおっしゃったお言葉です。これは「この宝鏡を私(=天照大神)だと思って宮中に祀るように」という意味であり、これが鏡を奉斎する賢所(かしこどころ)の起源です〈後の崇神天皇の御代に天照大神の神霊は宮中を離れ、鏡を奉じた倭姫命(やまとひめのみこと)によって伊勢へご鎮座されることになります〉。

次いで、高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)が、「天津神離(あまつひもろぎ)および天津磐境(あまついはさか)を起し樹てて、まさに吾孫(すめみま)の為に斎(いわ)ひ奉(まつ)らむ」とおっしゃいました。これは、「神の御座所としてお鎮まりになるところを立てて天孫のために祀ろう」とう意味で、神宮・神社の起源を示しています。

三番目は、天照大神が宝鏡を授けられたのに続いて、「高天原(たかまのはら)に所御(きこしめす)齋庭(ゆには)の穂(いなほ)を以(もち)て、亦(また)吾(あが)児(みこ)に御(まか)せまつるべし」とおっしゃられたお言葉です。これは、食物として地上で栽培するようにとの趣旨で、天照大神が天孫に種籾(たねもみ)を授けられたもので、宮中祭祀第一の祭典である大嘗祭(だいじょうさい)、新嘗祭(にいなめさい)の起源が示されています。
祭祀の原初の姿はもはや知る術がありませんが、大宝元年(701)に制定された大宝律令から延長5年(927)制定の延喜式にいたり、今日見る体系的な祭祀の基礎が完成されました。律令時代には祈年(きねん)祭、月次(つきなみ)祭、新嘗祭が重視され、また大嘗祭、伊勢の神宮の式年遷宮(しきねんせんぐう)も最大の祭儀として、成立しています。
時代の変遷とともに祭祀も変化していきましたが、宮中祭祀の基本姿勢は、13世紀前半の順徳天皇(第84代)が著された『禁秘抄』の冒頭、「一、賢所(かしこどころ)。凡(およ)そ禁中の作法、神事を先にし、他事を後にす。旦暮あけくれ敬神之叡慮解怠(えいりょけたい)無く白地(あから)さまにも神宮竝(なら)びに内侍所(ないしどころ)の方を以て、御跡(みあと)と為(な)さず」という一文に尽きています。すなわち「宮中の作法はまず第一に神事、その後に他のことがあって、朝夕に神を敬い、かりそめにも伊勢の神宮、また賢所に足を向けて休むようなことがあってはならない」というものです。

15世紀後半の応仁の乱以降は中絶した儀式もありますが、明治維新後は途切れていた祭祀が再興され、また、新しい祭祀が創出され、明治41年の皇室祭祀令によって法的な整備がなされます。また、それぞれの祭祀に対応する国の祝祭日が定められ、宮中祭祀は、国民生活にも広く浸透していきました。皇室祭祀令は新しい皇室典範の施行と同時に廃止されましたが、宮中祭祀はほぼその規定に準拠して、現在も厳修されています。なお、現在、宮中祭祀は皇室の「私事」として扱われていますが、その趣旨は、あくまでも国家・国民の安寧幸福と世界平和を祈られることにあり、象徴天皇にふさわしい「公事」であるとする有力な見解もあります。

宮中三殿について

宮中三殿とは皇居内吹上御苑の東南にある、賢所、皇霊殿(こうれいでん)、神殿(しんでん)の総称で、皇室の祭祀は主としてここと各地の山陵で行われています。明治22年に完成した三殿の高い土塀を巡らせた敷地の広さは約7260平方メートル、その中央に賢所、向かって左が皇霊殿、右が神殿となり、いずれも銅葺きの総檜による入母屋(いりもや)造り。
賢所は左右両殿より大きく、三殿はそれぞれ廊下で結ばれています。

賢所は明治以前の京都御所にもありましたが、皇霊殿と神殿は明治維新以降の宮中祭祀制度の再編にもっとも尊い御殿とされ、かつては恐れ畏(かしこ)むの意味で「威所」「恐所」とも書かれました。明治以前は天皇のお側近く仕えた内侍が奉仕したため(現在は内掌典が奉仕)、内侍所と呼ばれ、また、あるいは温明殿(うんめいでん)、春興殿(しゅんこうでん)という名も残っています。

賢所の次に位置づけられる皇霊殿は、神武天皇から昭和天皇に至る、124代の天皇や歴代外天皇、皇后、皇族方をお祀りしています。

もともと天皇・皇族はそれぞれの陵墓に葬(こも)られていましたが、平安時代以降、仏教の隆盛によって、賢所と同様、内掌典が中心となって奉仕しています。

また神殿には、八神(天皇の守護神である八柱の神)、天神地祇(てんしんちぎ=天つ神、国つ神)が祀られています。構内には、三殿に付属して神嘉殿(しんかでん)、神楽舎、綾綺殿(りょうきでん)、奏楽舎、帳舎(あくしゃ)といった建物がありますが、神嘉殿では新嘗祭が斎行され、綾綺殿では新嘗祭に先立って鎮魂祭の古儀が行われます。

平成16年6月から三殿の耐震劣化調査のため、賢所、皇霊殿、神殿はそれぞれ仮殿にいったんご動座されていましたが、翌7月に還御されました。

現在行われている祭祀

宮中祭祀は天皇自ら祭典を行われ、「お告文(つげぶみ=祝詞)」を奏上する大祭、掌典長が祭典を行い、陛下は拝礼される小祭、その他の祭儀の三つにわけられます。
それぞれどのような祭儀があるか、またとりわけ重要な祭儀について簡単に触れておきましょう。

まず、大祭は元始祭(げんしさい=1月3日)、昭和天皇祭(先帝祭=1月7日)春季皇霊祭・春季神殿祭(春分の日)、神武天皇祭(4月3日)、秋季皇霊祭・秋季神殿祭(秋分の日)、神嘗祭(かんなめさい=10月17日)、新嘗祭(11月23日)です。『古事記』雄略天皇条にすでにその伝承を示す歌が見いだせる新嘗祭は、大祭の中で唯一古代から受け継がれた重要な宮中祭祀です。また、毎年営まれる新嘗祭に対して天皇のご即位に際して行われる大嘗祭は「毎世(まいせい)の大嘗」と呼ばれる皇室の最も大切な重儀です。

小祭は歳旦祭(さいたんさい=1月1日)、孝明天皇例祭(1月30日)、祈年祭(2月17日)、香淳皇后例祭(6月16日)、明治天皇例祭(7月30日)、賢所御神楽(12月上旬)、天長祭(12月23日)、大正天皇例祭(12月25日)です。祈年祭は「としごいのまつり」とも読み、農作業の開始を祝い、豊作を祈るお祭りとして、新嘗祭と対になっています。

他に四方拝(1月1日)、奏事始(そうじはじめ=1月4日)、鎮魂祭(11月2日)、節折・大祓(よおり・おおはらえ=6月30日と12月31日)、除夜祭(12月31日)、毎朝御代拝、旬祭(毎月1日、11日、21日)、歴代天皇式年祭、さらに恒例の祭典以外に、ご結婚、ご誕生などに関して、臨時の祭典が行われることもあります。このうち、四方拝は元日の未明、天皇陛下が伊勢の神宮をはじめ四方の神々および山陵をご遥拝になり、この年の五穀豊穣と国家、国民の安寧を祈られます。天皇がお一人で行う、御代行できない重大な儀式です。

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