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一般財団法人 日本文化興隆財団

連載故郷の場所(その11) 「神職から滲み出るもの」

■被災者の心のケア
今回は、これまでとは少し違った視点から神職と震災復興の関わりを考えてみたい。
 震災後の復旧・復興支援において、神道での「心のケア」としては、祭りを通した心の高揚や「陽気さ」の拡散がまず挙げられるだろう。
 それは時に爆発的なちからを産むことは、多くの人が知るところだ。また、単なる「◎◎フェスタ」とは異なり、やはり「神様とのつながり」を背景に行なわれるマツリだからこその特別な高揚感があるということは、言うまでもない。
 一方、「宮司さん、神職さんと話しているだけで落ち着く」という声も、被災地ではよく耳にしてきた。これは、実は「地元の神主」だけとは限らない。復興支援で被災地に入った他の地域の神職との接触でも、そういう感想を持った被災者はいるということだ。
 心理学的には、これはとても重要なことである。
 心理学の世界では、クライエント(来談者、相談者)とセラピスト(治療者、援助者)の心が安定的につながった状況を「ラポール」と言う。つまり、「神職と話して安心する」と語る氏子との間にラポールが成立している、ということだ。
 ラポール(rapport)は、もとはフランス語の臨床心理学用語。両社が互いに信頼し、安心し、お互いを受け容れ、自由に振る舞え、円滑に意思の交換ができ、感情の交流が成り立つ状態のことを意味している。
 ラポールの成立は、カウンセリング成否の基本となるものだ。だから、これがすでに成り立っているということは、とてもすごいことなのだ。
 カウンセリングの場では、ラポールが形成されると、重箱の隅をつつくような発言がクライエント(以下、「お相手」)から減り、深刻な衝突に発展しなくなり、お相手が心を開いていく。
 逆に言えば、ラポールが形成されない関係では、実際にはたいしたことではない出来事であってもお相手が深く傷つく可能性もあるのだ。
 信頼関係を構築するためには、傾聴の技術やコミュニケーション能力の向上が必要である。それは本当にその通りで、セラピスト側が余計なことをしゃべっていたら、絶対に信頼関係は生まれない。いや、余計なことはおろか、何か「気の効いた一言」も不要だ。お相手は「聴いてもらいたい」のであって、何かのアドバイスを与えられたり、評価を下してもらいたいわけでも、同情してもらいたいわけではないのだ。
 さて、被災地で信頼されたり「安心できる」と言われた神職たちがこういったカウンセリング技術を必ずしも学んでいたわけではないだろう。しかしながら、なぜラポールが形成されえたのだろうか。
 実は、神職には一般のセラピストにはない有利な点がある。それは、神職が背負う神様の存在である。被災された方々は、「神様への信頼」があり、その神に仕える者としての神職に信頼を寄せていると想定できるのではないだろうか。
 でなければ、カウンセリングの場での醸成が容易とは限らないラポールが簡単に現出する理由が見出せない。
 別の視点から分析すると、「神職個人の能力」を超えた働きや存在感によって、信頼に基づくコミュニケーションが成り立っているということだ。被災地に入り、被災者と接する神職は、このことをしっかりと考えなくてはならないと思う。
 付言すれば、神事の基本も、神と氏子・崇敬者との信仰に基づくラポールが核になければ、単なる行事になってしまうのではないかと思われる。

■神職から滲み出る「治療的自我」
 しかしながら、「神様への信頼」だけでお相手が心を開くということは(時にあるかもしれないが)、あまりないだろう。
 では、何がお相手の心を開かせるのだろうか。別の要素もあるようだ。
 医療の世界には、「治療的自我」という考え方がある。これが参考になるようだ。
「治療的自我」というのは、医療者の品格や人間性といったものが、疾患を抱えている人を癒す――という考え方で、治療的自我のない医療者の場合、どんなに医療技術や診断がすぐれ、医学的知識が豊富でも、治療効果を患者があまり実感しないかもしれない。
 被災地に入り、被災者と関わる神職も、基本的には同じであろう。自我や品格、風格が滲み出るものが被災者の心の安寧に結びつくかどうかがとても重要と思われる。では、その治療的自我のような何かは、神職においては、どうのように涵養されうるのであろうか。
 私は、神職という生き様というか、神明奉仕に尽きるのではないかと考える。神職は神と人との仲執り持ちであるのだから、神職として現場での研鑽・鍛錬を重ねていれば、神職個人の感慨や感傷などではなく、おのずと被災者への労わりや優しさ、共鳴といった温かい何かが滲み出るはずだ。
 被災地において、私はこれまで何人かの神職が、存在感だけで氏子さんを包み込む現場を目撃した。とくに、その場所にしっかりと留まって、氏子さんの心の拠り所となっている、地元の神職さんの姿に「神性」さえ感じたものだ。鎮守の杜が故郷を象徴するなら、そこを守る神職は、故郷の守護者だ。神と人との仲執り持ちは、故郷と人々との仲執り持ちでもあるのだ。否、神そのものが故郷なのだろう。
 震災復興での対人援助について、彼らが示唆することはとても深いと思う。
ライター 太田宏人
(平成28年4月16日掲載)





神事も神と人との信頼関係を基に行なわれる。写真は、鹿島御子神社(福島県南相馬市)で行なわれた北海道神道青年協議会と福島県神道青年会による「北海道縁日」で=平成24年5月24日撮影


震災後に途絶えていた地域の「夏祭り」を復活させ、盆踊りのときに氏子の子どもたちに参加賞を配る日鷲神社(南相馬市小高区女場)の西山典友宮司。西山宮司のまわりには笑顔が広がる=平成25年8月12日撮影

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