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一般財団法人 日本文化興隆財団

宮中祭祀とは

皇室典範とは何か

現行の皇室典範は、昭和22年1月16日、一般の法律のひとつとして公布され、5月3日に施行されました。新憲法に対応して、天皇と皇族に関する事項を規定している根本法で、第1章「皇位継承」、第2章「皇族」、第3章「摂政」、第4章「成年、敬称、即位の礼、大喪の礼、皇統譜及び陵墓」、第5章「皇室会議」から成っています。

「皇位継承」について

第1章「皇位継承」は1条「皇位は皇統に属する男系の男子がこれを継承する。」より始まり、皇位継承の順序を詳細に規定(第2条・第3条)。第4条には「天皇が崩じたときは、皇嗣が直ちに即位する。」と規定されており、今上天皇も、昭和天皇が昭和64年1月7日午前6時33分に崩御された後、「剣璽等承継(けんじとうしょうけい)の儀」を行われ、ただちに即位されました。「剣璽」とは、神話の時代より現在に至るまで皇室に伝わる三種の神器(八咫神鏡=やたのかがみ・草薙剣=くさなぎのつるぎ・八坂瓊曲玉=やさかにのまがたま)のうちの剣のお写しと曲玉を指しており、「剣璽等承継の儀」とは、天皇の御印である「御璽(ぎょじ)」と国の印章である「国璽(くじ)」が剣璽と共に継承される儀式です。

退位、皇位継承、摂政についての規定

一方、退位についての規定はありません。
幕末までは、天皇は自分の意思で譲位され、太上(だじょう)天皇(=上皇)となることができましたが、退位は「象徴」としての地位と矛盾するという理由で認められていません。
第2章「皇族」では皇族の定義がなされており、第5条で「皇后、太皇太后、皇太后、親王、親王妃、内親王、王、王妃および女王を皇族とする」と定められています。
親王、内親王については、嫡出の皇子、および嫡男系嫡出の皇孫まで、つまり二世までとなっており、三世以降の嫡男系嫡出の子孫は王、女王と呼ばれます。旧皇室典範では皇玄孫(こうげんそん)、つまり四世までを親王・内親王と定め、五世以下を王・女王と定められていたのが、ぐっと範囲が狭められたことになります。
また、旧皇室典範で禁止されていた天皇および皇族の養子は引き続き禁止され、女子および嫡子でない子の相続も認められていません。
第3章「摂政」では、天皇が成年に達しないとき、また国事行為を自ら行えない場合に摂政を置くと規定され、就任する順序が定められています。平安時代からの摂政は、幼少の天皇に代わって、臣下が政務を行うというものでしたが、旧典範からは、天皇の大権を代行する役割となりました。昭和天皇は皇太子時代に、体調のすぐれない大正天皇の摂政として公務に当たられました。
皇位継承においては女子は認められていないものの、摂政となるには問題がありません。旧皇室典範では、女子に配偶者がないことが条件となっていましたが、現行の皇室典範ではそうした規定も外されています。

天皇、皇太子、皇太孫の成人は18歳

皇室における“成年”については、一般国民と同じように、他の皇族が20歳で成年を迎えるのとは異なり、「天皇、皇太子、及び皇太孫の成年は十八年とする。」と第4章第22条に規定されています。第23条は敬称に関する規定であり、天皇、皇后、太皇太后、皇太后の敬称は「陛下」、それ以外の皇族の敬称は「殿下」と定められています。
皇位の継承があったときに行う「即位の礼」は第24条で定められ今上天皇の場合は、諒闇(服喪期間)の明けた平成2年11月12日に行われました。
第25条では「大喪の礼」は「天皇が崩じたときに行う」と定められており、現行の皇室典範下での初めての昭和天皇の「大喪の礼」が、国事行為として平成元年2月24日に行われています。ちなみに、伝統を忠実に守るために、また政教分離にも配慮して、一部の儀式は国の行事としてではなく「皇室の公的行事」として行われました。
ほかに旧皇室典範では規定されていながら、現行法では規定されておらず、「皇室の公的行事」として行われたものには、「大嘗祭」、「立太子の礼」などがあります。
第4章第27条では陵墓について定められており、「天皇、皇后、太皇太后、皇太后を葬る所を陵、その他の皇族を葬るところを墓」と、はっきり区別されています。
第5章では皇室会議について定められています。議員は10人。皇族2名、立法府4名(衆議院と参議院の議長と副議長)、行政府2名(首相、宮内庁長官)、司法府2名(最高裁判所長官およびその他の裁判官)から構成され、原則として出席者の過半数の賛成によって議決されますが、皇位継承の順序変更などの重要事項の場合には3分の2の賛成が必要となります。現在の皇族代表は、三笠宮崇仁親王・同妃両殿下が任にあたられています。
また、現在の皇室典範の公布と同時に、皇室経済法も公布されました。戦前の皇室経済は表向きに公表されることはほとんどありませんでしたが、11条から成る皇室経済法及び同施行法では、皇室経費の金額、財産の授受などについても明記されています。

旧皇室典範との違い

明治22年、大日本帝国憲法と同時に公布された旧皇室典範は憲法と対等の効力を有し、その改正・増補は皇族会議および枢密顧問(天皇の最高の諮問機関)の諮詢を経てなされ、議会の議決を経る必要はないとされていました。
これは典範に「皇室の家法」としての性格を認めて皇室の自立性を謳ったものですが、いわゆる「宮中」と「府中」の区別を明確にし、「皇室の事務」と「国家の事務」が混淆しないことを目指しています。
宮内大臣は内閣の一員ではなく、宮内官は政府の一般の官吏とは身分的に一線を画していたのもこのことの端的な表れです。
これに対して、現典範は旧典範とは無関係に議会によって新規の法律として制定され、国会の過半数の議決によって改正されうる一般の法律と同等の効力しか有していません。この点が最も大きな違いです。
内容的に見ても、旧典範が全12章62か条であるのに対し、現典範は全5章37か条とかなり簡略化されています。
幼帝のご保育にあたる太傳(たいふ)や、皇族に対する訴訟・懲戒規定・元号・神器渡御(とぎょ)大嘗祭(だいじょうさい)に関する規定などは現典範ではなくなっていますし、皇室経済に関することがらは別の法律に委ねられました。

皇室制度についてほぼ完璧に整備されていた旧典範

また、旧典範では嫡出子のみならず、庶出子にも皇位継承権を認めていましたが、現典範は嫡出子のみに限っていますし、皇太子・皇太孫を除く皇族がその身分を離れる途を広く認めた点も大きく異なる点でしょう。
もうひとつ違っている点は関係法令の整備状況です。
現典範には、皇統譜令・皇室経済法・皇室経済法施行法・宮内庁法・国事行為の臨時代行に関する法律・元号法しかありませんが、旧典範にはその下に皇室令と呼ばれる皇室に関する一群の法令が体系的に網羅されていました。
そのうち主要なものを列挙すると――(旧)皇統譜令(皇籍)・登極令(皇位継承)・摂政令(摂政の設置)・立儲令(立太子)・皇室親族令(親族関係)・皇室成年式令(成年)・皇族身位令・皇族会議令など(皇族一般)・皇室祭祀令・皇室儀制令(宮中の祭祀・儀礼)・皇室喪儀令・皇室陵墓令など(葬制・墓制)・皇室財産令・皇室会計令など(皇室経済)等々とあり、皇室制度はほぼ完璧に整備されていたことがわかります。
この現行法の不備を補うために、たとえば歌会始や講書始の儀、皇族の成年式やご結婚の儀、立太子礼、昭和天皇・香淳皇后のご葬儀・今上陛下の即位のご大典などが旧皇室令に準拠して行われてきたのです。

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