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霞会館記念学習院ミュージアム「ようこそ! 華麗なる宮中晩餐会の世界へ」
令和8年10月1日


明治から現代まで約150年にわたって受け継がれてきた宮中晩餐の歴史を紹介する展覧会が、東京・目白の霞会館記念学習院ミュージアムで開催されています。



宮中晩餐会には日本の近代化の過程が反映されている
 宮中晩餐会とは、国賓をもてなすために開かれる国の最高接遇で、皇居「宮殿」の「豊明殿(ほうめいでん)」で催されます。天皇・皇后両陛下が主催されますが、ドレスコードは最高礼装(王族接遇の場合、男性はホワイトタイ・燕尾服または紋付羽織袴、女性はロングドレスや色留袖など)、提供される食事はフランス料理のフルコースと、その詳細は国際儀礼によって定められています。
 本展を企画した同ミュージアムの長佐古(ながさこ)美奈子さんは、「外国からの賓客を日本が国を挙げて接遇する宮中晩餐会には、明治以降の日本が直面した西欧化・近代化の過程が反映されている」と話します。この展覧会では、食器、ボンボニエール、ドレスなど、初公開を含む多数の品々が展示されており、宮中晩餐会の歴史と、宮中晩餐会が近代以降の日本社会に与えた影響がわかるように構成されています。

明治2年のイギリス王室からの抗議
 日本に初めて外国の要人が来日したのは、明治2年(1869)のこと。イギリスのエディンバラ公(ヴィクトリア女王の第2王子)が約1か月間、日本に滞在しました。政府は同公を国賓として遇し、花火、能狂言、相撲の披露など、国を挙げて和風のおもてなしを繰り広げました。料理は和食本膳が供されました。
 しかし、この接遇にイギリス王室が抗議してきました。明治政府が、国歌の演奏や写真の交換など、西欧列強間の国際儀礼にのっとった接遇をしなかったというのが理由でした。料理も本来ならば、フランス料理を提供するべきでした。当時の欧米諸国では、格式の高い席の料理はフランス料理が定番だったからです。
 明治期の日本は不平等条約を改正すべく、西欧列強に肩を並べようと欧化政策を推進していました。そのため外国からの賓客を洋食でもてなすことは、明治政府にとって国家の威信をかけた一大案件となり、政府はまず食器の問題に取り組みました。当初は、晩餐会が開かれるたび、明治5年(1872)に創業したフランス料理店の草分けである築地精養軒から借りていました。その後、イギリスのミントン社から購入しますが、明治10年(1877)に「内国産品使用奨励」が布告されたことにより、宮内省(現・宮内庁)も食器を国産化することとなり、国内の産地に食器を発注しました。

洋食器を焼く難しさ
 ところが洋食器は和食器とは異なります。お皿の上で肉を切り分けるため、底を真っ平にする必要がありますし、大規模な晩餐会ともなると同じサイズのものを何百枚と作らなくてはなりません。当時の日本にはそういう技術も機械もなかったので、洋食器を焼くのが難しかったのです。
 展覧会には、ミントン社から購入する前に、日本で焼かれた洋食器群が2種、展示されています。「色絵金彩人物花蝶文(いろえきんさいじんぶつかちょうもん)」の食器群と「色絵金彩花鳥文」の食器群です。外賓をもてなす迎賓施設「延遼館(えんりょうかん)」で用いられたことから、いずれも食器の裏面には「延遼館備(そなえ)」と銘が記されています。しかし、大皿を真っ平に焼き上げることは困難だったようで、京都産の「色絵金彩花鳥文楕円大皿」には歪みがあることが見て取れます。当時の日本で洋食器を焼く難しさが伝わります。





明治15年、初の国産正餐(せいさん)食器が完成
 明治15年(1882)、産地が苦心を重ねて焼き上げた食器が初の国産正餐食器として宮内省に納入されます。それが本展にも展示されている「染付葡萄唐草鳥獣文(そめつけぶどうからくさちょうじゅうもん)」の食器群と、「金彩パルメット桐文(きりもん)」の食器群です。染付の方は正倉院宝物の海獣葡萄鏡(かいじゅうぶどうきょう)をモチーフにしている可能性があり、日本に古くから伝わる文様を継承しています。
 またパルメット文様とは、ナツメヤシなどの葉や樹形を扇状に広げて図案化した植物文様で、唐草文様のルーツともされています。この食器のパルメット文はフランス国王が使用したものを見本としており、驚くべきことに、金彩パルメット文と桐文はすべて職人による手描きだそうです。
「現在、宮中晩餐会で使用されているのは桐ではなく菊の文様が入ったものなので、正確にはこの皿と同じものが使用されているわけではありませんが、パルメット文は同じです」(長佐古さん)



有栖川宮家のディナーセット
 なおグラス類は明治8年(1875)にイギリスから輸入したものが、今も現役で一部使用されているとのことです。
 グラス類には、グラヴュールというガラス工芸の伝統技法が表面に施されています。これは回転する銅盤にガラスの器の表面を押し当て、細かく削ることで絵画や立体的な彫刻模様を表す技法です。宮中晩餐会に用立てるため、日本にもこの技術を扱える職人が生まれました。
 本展会場の正面には、有栖川宮(ありすがわのみや)家が晩餐会を開いた際に使用していたディナーセット一式が展示されており、グラヴュールのグラス類はこちらで見ることができます。現在の国賓は数日間の滞在ですが、明治期の外賓は2週間~1か月間ほど滞在するのが通例でした。宮中が接遇するだけでは不十分だったため、各宮家や華族家でももてなすこととなり、それぞれが紋章入りの洋食器をそろえたのです。





 料理についても説明しておきましょう。提供されるフランス料理は、当初は宮内省が雇ったフランス人シェフをコーチにした料理担当者と、築地精養軒から派遣させた料理人が担っていましたが、明治19年(1886)には宮内省に大膳(だいぜん)職が設けられ、晩餐会の料理をまかなうこととなりました。
 また宮中饗宴に陪席する者は、西洋料理の食べ方やテーブルマナーの習得に務めました。伝授役がナイフやフォークの扱いを失敗して、お芋を転がしてしまうと、生徒役もみなお芋を転がすような一幕もあったと、『「明治天皇紀」談話記録集成』にも記されているそうです。

日本のスタイルが完成した明治22年の宮中晩餐会
 こうした努力の末、日本の宮中晩餐会の形式は徐々に整っていき、明治22年(1989)2月11日、大日本帝国憲法発布式の祝宴として行われた宮中晩餐会で、その完成を見ることになりました。場所は、前年に完成したばかりの明治宮殿の豊明殿です。
「国産の洋食器で伝統的なフランス料理のコースが提供されましたし、明治天皇に比べ洋装化の遅れていた昭憲皇太后も洋装のドレス姿でお出ましになりました」(長佐古さん)
 昭憲皇太后がドレスを着用したことから、皇族や華族の婦女子の洋装化が進み、また昭憲皇太后がドレスの生地や装飾に国産品を奨励したことから、国内の織物業や伝統産業の復興を促し、明治政府が掲げた殖産興業の発展に大きく貢献しました。

 本展では、この4月から霞会館記念学習院ミュージアムの正式な客員研究員に就任された彬子女王殿下が、実際に宮中晩餐会で着用されたドレスが展示されています。閉幕まで2週間に1度展示替えがあり、計4着が展示されるとのことですが、10月10日までは平成29年(2017)4月、スペインのフェリペ国王陛下とレティシア王妃陛下を招いた宮中晩餐会でお召しになった白いイブニングドレスが展示されています。
 10月13日からは平成28年(2016)10月、ベルギーのフィリップ国王陛下とマチルド王妃陛下を招いた宮中晩餐会で着用されたドレスが展示されます。



 また、この明治22年の晩餐会では、列席者にボンボニエール(小さな菓子器)が初めて配られました。皇室では慶事の際の記念品としてボンボニエールを作って配る習わしがありますが、その嚆矢が明治22年の晩餐会なのです。
 本展では、明治22年の記念すべきボンボニエールから、昭和8年の上皇陛下ご誕生記念、令和ご即位記念、悠仁親王殿下成年式記念まで、たくさんのボンボニエールが展示されていて、目を楽しませてくれます。



大正の即位礼にはザリガニのスープが
 こうして20年間にわたる努力の末、国際儀礼にのっとりつつ、国産品に配慮した日本式宮中晩餐会の基本スタイルが確立されました。以来、日本はその基本スタイルを変わらずに守り続けてきました。いわば19世紀後半の国際儀礼を保ってきたのです。
 ちなみに大正の即位礼(大正4年/1915)の晩餐会では、即位礼で初めて洋食が供され、天皇の料理番として知られる秋山徳蔵が七面鳥の炙り焼きやザリガニのスープなどのメニューを考案しました。本展では、そのレプリカが展示されています。
 一方、日本が手本としてきたヨーロッパ各国では晩餐会の形式がどんどん変わっていきました。料理は自国料理をアピールしたり、主賓の好みなどに合わせたりと臨機応変に変え、ドレスコードもゲストへの負担を減らすため、カジュアル化されてきています。
 では、なぜ日本は伝統的なスタイルを守り続けてきたのでしょうか。長佐古さんは、「その背景には日本ならではの接遇の心がある」と言います。たとえば料理にしても、A国とB国のメニューが異なると、すべての国を平等に接遇するという公平性を担保できません。日本には、どの国に対しても同じおもてなしをするという姿勢が基本にあるのです。

宮中晩餐会に吹き始めた令和の風
 しかし、令和7年3月25日、100年以上続いてきた伝統的スタイルに変化がもたらされました。ブラジルのルラ大統領夫妻を招いての宮中晩餐会に、和食の前菜が初めて盛り込まれたのです。これまで提供されてこなかった日本酒も伝統工芸「江戸切子」のグラスに注がれました。
 配膳方式も変更されました。それまでは料理が丸ごと盛り付けられた銀製大皿を給仕人が持って回り、出席者が各自で取り分ける方法が採用されていました。これは明治7年(1874)の明治天皇の誕生日を祝う晩餐会以来の伝統で、客が食べたい量を自分で決められるという意図がありました。これが出席者同士の懇談を妨げないようにとの配慮から、あらかじめ盛りつけられた皿が一人ひとりに配膳されたのです。
 令和8年5月27日に行われたフィリピンのマルコス大統領夫妻を迎えての宮中晩餐会でもマダイとカニの押し寿司といった和食前菜が供され、一人ずつ美しく盛り付けられた皿が配膳されました。
 本展では、ルラ大統領を招いた宮中晩餐会のメニューや写真も紹介されています。



 かつて日本の西欧化や殖産興業の一翼を担ってきた宮中晩餐会は、150年の時を経て、国際儀礼を遵守しつつ日本ならではの魅力を発信する場へと変貌していきつつあるのです。今後、日本の宮中晩餐会はどのような歩みを見せていくのでしょう? 美しい食器や精緻なボンボニエール、絢爛豪華なドレスなどを楽しみつつ、明治以来の日本の来し方行く末に思いを巡らせてはいかがでしょうか。
 
ようこそ! 華麗なる宮中晩餐会の世界へ
会期:2026年 9月26日(土)~11月21日(土)
会場:霞会館記念学習院ミュージアム
※詳細は下記公式サイトへ
https://www.museum.univ.gakushuin.ac.jp/exhibition/#exhibition-current
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