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京都・紫野(むらさきの)に壮大な伽藍(がらん)を構える大徳寺。多くの名僧を輩出し、天皇や戦国武将たちに信仰されたこの寺は、茶の湯との縁も深く、日本の文化に多大な影響を与えてきました。開山700年にあたる2026年秋、通常非公開の寺宝を一挙公開する特別展が、東京国立博物館で開催中です。その内覧会に伺いました。

13世紀後半の中国の禅僧画家・牧谿(もっけい)の作品は、日中の禅宗寺院の交流を背景に日本に伝わり、大変な人気を得ました。なかでも〝東洋一の名画〟と謳われる「観音猿鶴図」は、足利義満が所蔵した時期を経て、16世紀に大徳寺に入ったもの。作品の成立の詳細は不明ですが、三幅それぞれに描かれるのは、救いを求める人々の声を聴いてすぐさま救済する観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)と、中国で古来、ともにその鳴き声に痛切さや悲嘆のイメージが重ねられた鶴と猿。いずれのモチーフも、ぼうっと靄(もや)が立ち籠めたようななかに、繊細なグラデーションで表現されています。このように、高度な技法を駆使し、対象を光や空気に包まれたように描出する牧谿の作品は、日本の水墨画に多大な影響を与えました。なお、展覧会のチラシ(画面一番上の画像)にも大徳寺所蔵の伝牧谿筆「龍虎(りゅうこ)図」があしらわれています。

開山・宗峰妙超(しゅうほうみょうちょう/1282~1337)は大燈国師(だいとうこくし)とも呼ばれ、大徳寺はその峻烈な禅風を今に伝えています。展覧会ではその威厳に満ちた頂相(ちんそう=肖像)や、雄渾(ゆうこん)な筆致による墨蹟(ぼくせき=書)などが出展されています。
絶筆の「遺偈(ゆいげ)」は、宗峰の壮絶な最期の逸話とともに伝えられています。晩年、足を患い、座禅を控えていた宗峰は、臨終に際し、自ら両手で左足を右股の上に乗せて半跏(はんか)を組むと、折れた左膝から流れる血が衣を染めるなか、遺偈を書き上げ、筆を投じて示寂(じじゃく=亡くなること)したといいます。遺偈は「仏祖をも切断して乗り越えていくような、厳しい禅の道を進むべき」と説く内容で、最後に「珍重、首座大衆(しゅそだいしゅ)」と、事後を託した者たちに別れを告げています。厳しさと穏やかさを兼ね備えた字風には、どこまでも高邁(こうまい)な精神と、臨終に際してなお衰えぬ気概が感じられ、思わず身震いしてしまいます。

宗峰が臨終に際して身につけていたと伝わる件(くだん)の法衣も展示されています。直綴(じきとつ)は、袈裟(けさ)の下にまとったもの。裾裏や右肩あたりに残る赤黒い染みは、血痕のようにも見えます。

宗峰の徹底的な求道の姿勢は人々の信仰を集め、やがて皇室の尊崇を受けるに至ります。持明院統(じみょういんとう=北朝)の花園上皇(1297~1348)に続き、大覚寺統(だいかくじとう=南朝)の後醍醐天皇(1288~1339)も宗峰に帰依し、大徳寺は南北両朝から厚く庇護されました。とくに、後醍醐天皇は大徳寺を「本朝無双(ほんちょうむそう)の禅苑(ぜんえん)」と讃えました。大徳寺に伝わるその肖像画は、臣下の姿が描き加えられている点で、天皇の肖像画として類例のないものです。

宗峰の禅風を受け継いだ名僧のなかでも知名度が高いのが、「一休さん」としておなじみの一休宗純(いっきゅうそうじゅん/1394~1481)でしょう。後小松(ごこまつ)天皇の落胤(らくいん)と伝えられ、型破りな言動で知られる一休ですが、室町時代に一時荒廃した大徳寺の復興に尽力しました。上左画像の自賛(自身が文章を書き入れること)の頂相は、ぞんざいに足を組んだ姿、斜めに向けた視線、ぼさぼさの髪や無精ひげなどが、そのキャラクターを物語っているよう。また、上右画像の墨蹟は、仏教の要旨を示した戒「諸悪莫作 衆善奉行」(もろもろの悪いことをしてはならない もろもろの善いことを進んで行いなさい)が書かれたもの。墨のかすれ具合や躍動感のある筆致に、一休の自由で豪放な精神を感じます。

百年を経た器物が変化(へんげ)して妖怪となり、練り歩く姿を描いたユーモラスな「百鬼夜行絵巻」は、多数の作例があり、今なお人気があります。大徳寺の塔頭(たっちゅう=子院)のひとつ、真珠庵に伝わる本作は、なかでも現存最古で、技術的にも抜きん出たもの。その制作にあたっては、真珠庵の開祖である一休宗純が構想を練ったとも伝わるとか。上の画像はその一部ですが、展覧会では会期中に巻き替えもあり、多くの場面を目にすることができます。

禅との密接なかかわりのなかで発展した「茶の湯」と、とくに深い縁(ゆかり)をもつ大徳寺。塔頭のひとつ、孤蓬庵(こほうあん)に伝わる「喜左衛門井戸(きざえもんいど)」は、最高峰の名碗として知られます。朝鮮半島で作られ、日本へ渡来した「高麗(こうらい)茶碗」の中心を占める「井戸茶碗」に分類されるこの茶碗。温かみのある枇杷色(びわいろ)、竹節のような高台(こうだい=底部の台)、その脇に見られる梅花皮(かいらぎ)と呼ばれるごつごつした釉薬の景色など、多くの見どころを備えています。

日本には、中国から舶来し、本国ではもはや見ることのできない貴重な中国漆器が伝世しています。元時代に制作されたと考えられる、こちらの経箱もそのひとつ。黒漆塗(くろうるしぬり)の各面に、龍、鳳凰(ほうおう)、鸚鵡(おうむ)、釈迦三尊(しゃかさんぞん)などの図様が、鎗金(そうきん)で表されています。鎗金とは、漆を塗り重ねた器体の表面に刀で文様を彫り、その溝に金箔を押し込む技法です。

大徳寺を構成する数々の建築物のなかでも、とりわけ壮観な姿の「三門」は、応仁の乱後、連歌師(れんがし)・宗長(そうちょう)らが初層を建立し、のちに千利休(せんのりきゅう/1522~91)が上層の金毛閣(きんもうかく)を造営したもの。今回の展覧会では、通常非公開の三門楼上に安置されている釈迦三尊像、千利休像が初公開され、三門内部を再現するかたちで展示されています。なお、利休像を三門に安置したことが豊臣秀吉の怒りを買い、利休が自刃に追い込まれたとの逸話が知られていますが、現在の像は明治時代に寄贈されたものです。
以上、作品の一部を紹介しました。この展覧会は、多くの塔頭や大徳寺派寺院を含む大徳寺山内の寺宝を総覧できるだけでなく、大徳寺のなりたちや変遷がよくわかる内容となっています。そして、大徳寺が伝える禅が後世に与えた影響の大きさを知る機会ともなるでしょう。
開創700年記念 特別展「大徳寺 本朝無双之禅苑」
会場:東京国立博物館 平成館
東京都台東区上野公園13-9
会期:2026年10月14日(水)~12月6日(日)
※会期中、展示替えあり
詳細は下記サイトへ
https://daitokuji2026.exhn.jp/