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天皇・皇后両陛下が主催される園遊会は、毎年春と秋の2回、赤坂御苑に招待客を招いて開催される。
令和初の園遊会が行われたのは、令和5年春のことだった。
令和のご大礼や新型コロナウィルス禍のため、しばらく開催されなかったからである。
実に平成30年11月の秋以来約4年半ぶり、春としては5年ぶりの開催であった。
今につながる園遊会が始まったのは明治からであるが、
現行の形式になるまでには幾多の変遷があった。
そもそも園遊会とはどういう会なのか、ご存じでしたか?
(99号より)
令和初の園遊会
令和初の園遊会は令和5年5月11日に開催された。ただしコロナ禍を経て開催する初めての園遊会であることから、通常は各界の功績者約2000~2500名を招き、アルコール類を含めた飲食を提供しているところ、この時は招待客を減らし、提供するのはソフトドリンクのみという形での開催となった。
また両陛下はじめ皇族方は高齢者への配慮からマスクをしてご出席。個人の判断となった招待客も、皇室の方々の近くでは着用することとなった。
園遊会が始まったのは午後2時半頃。出席されたのは両陛下、秋篠宮皇嗣・同妃両殿下、佳子内親王殿下、常陸宮妃殿下、寬仁(ともひと)親王妃殿下、彬子(あきこ)女王殿下、瑶子(ようこ)女王殿下、高円宮(たかまどのみや)妃殿下、承子(つぐこ)女王殿下。天皇陛下と秋篠宮殿下はモーニング、皇后陛下はじめ女性皇族方は優しい色合いの和服をお召しになっていた。
招待されたのは1032人。歌舞伎役者の片岡仁左衛門さん、令和元年にノーベル化学賞を受賞した吉野彰さんらの功績者。また開催されなかった5年間に活躍したスポーツ選手が招かれたため、夏と冬のオリンピックのメダリストが同時に出席。スピードスケートの高木美帆選手や車いすテニスで活躍した国枝慎吾さんらが出席した。

平成初の園遊会
平成初の園遊会は、平成2年5月31日に赤坂御苑で開催された。
招待客の一人だった第58代横綱の千代の富士関は、前年に角界初となる国民栄誉賞を受賞。園遊会直前の3月場所で前人未到の通算1000勝の大記録を達成していた。上皇陛下と緊張した面持ちで言葉を交わし、園遊会後に報道陣から「今場所と比べてどちらが緊張したか」と尋ねられると、「園遊会のほうが緊張するね」と笑顔で話した。
ほかには平成11年に文化勲章を受章した哲学者の梅原猛さん、戦前から国際的に活躍したバイオリニストの辻久子さん、ファッション・デザイナーの森英恵さん、指揮者の朝比奈隆さんらが招かれた。
平成の間に開催された園遊会は春秋合わせて計53回で、出席者はのべ約9万8000人にのぼった。震災などで7回が取りやめとなっている。平成最後の園遊会は平成30年11月9日に行われた秋の園遊会だった。
戦後初の園遊会
戦後初の園遊会は昭和28年11月5日に赤坂の大宮御所で開催された。戦前まで春は「観桜(かんおう)会」、秋は「観菊(かんぎく)会」と称されていたのを「園遊会」に改めての16年ぶりの開催であった。
当初は秋のみの開催で、翌秋は皇居の西の丸広場で開催。昭和38年から現在の赤坂御苑が会場となり、同40年からは春にも開催されるようになった。
会場の大宮御所には菊紋入りのテントが設営され、元皇族、元王公族のほか、各大臣、政界、官界、各国大使、各界功労者ら約1500人が集まった。民間からは植物学者の牧野富太郎、作家の志賀直哉らが招かれた。
昭和の最後の園遊会は昭和63年春の園遊会。昭和天皇が病に伏せられたため、同年秋の園遊会は取りやめとなり、翌64年1月7日、昭和天皇は崩御された。
園遊会の歴史~王室のガーデン・パーティを手本に
園遊会の歴史をたどると、明治13年(1880)11月、明治天皇と昭憲(しょうけん)皇太后が政府要人や外国の外交官を招いて赤坂離宮の御苑で催した「観菊会」にさかのぼる。以後、毎年春秋に「観桜会」「観菊会」が開催されるようになった。
その背景には、幕末期に締結した不平等条約の改正という目的があった。明治政府は、日本が西洋列強諸国と同等の文明国であることをアピールするため欧化政策として「鹿鳴館外交」を展開したが、園遊会もその一つであった。
手本となったのは欧州の王室のガーデン・パーティ。鹿鳴館外交を主導した井上馨は欧州滞在時に、欧州では王室が社交の中心となっていることを見聞し、皇室にそれを求めたのである。
桜と菊が選ばれたのは、花の盛りの時期が過ごしやすい気候のうえ、日本を代表する花であること、明治以前の日本において観桜と観菊はすでに長い歴史があったためという。
会場は幾度かの変遷があり、赤坂離宮の御苑、皇居の吹上御苑、浜離宮、新宿御苑などで開催された。プログラムも時代や会場によって変更が加えられていったが、招待客が天皇・皇后に拝謁後に花を鑑賞、その後に食事の提供があり、天皇・皇后が会場を散策しながら招待客らと言葉を交わすというのが基本的な流れだった。
アインシュタイン夫妻やヘレン・ケラーも
欧化政策の一環として始められたため、当初から外交官が広く招待されていた。来日中の外国人も招待されており、大正11年の観桜会にイギリスのエドワード皇太子(のちのエドワード8世)、同年の観菊会にアインシュタイン夫妻、最後の観桜会となった昭和12年にはヘレン・ケラーが招待されている。
日本人招待客としては明治37年から民間の功労者が招待されるようになり、園遊会は国家に貢献したと認められる者への栄誉の場としても用いられるようになった。
明治期は贅沢な食事や高級な酒類が提供されていたが、招待人数が増え、飲食に伴うトラブルが起きるようになったことから、大正8年からは茶菓のみの提供となった。
観菊会は昭和11年、観桜会は翌12年まで続けられた。

名物はジンギスカンと焼き鳥
現在の園遊会は次のように開催されている。
・赤坂御苑の開場は午後1時
・苑内の池の周囲には芝生が広がり、その間に皇室の方々がお通りになる道筋が延びる
・芝生上では宮内庁楽部と皇宮警察音楽隊が雅楽と洋楽を奏でる
・会場ではジンギスカン、焼き鳥、ちまきなどが酒とともに提供される
・招待者がひとしきり食事や歓談を楽しんだころ、皇宮警察音楽隊による「君が代」をバックに両陛下はじめ皇族方が苑内の三笠山にお出ましになる
・三権の長らの挨拶を受けると、両陛下と皇族方は三笠山を下り、道筋に並んだ招待者らと順にご懇談
・最後に関係者をねぎらってご退場。お出ましからご退場まで1時間ほどである
地域社会に貢献した人も招待される
招待されるのは三権の長、三権各機関の要人、国会議員、統合幕僚長、地方自治体の長、地方議会の長らに加え、各国の外交使節団の長らとその配偶者、各界の功績者、被災地の自治体の長らとその配偶者などである。各界功績者とは各省庁の推薦によるもので、ノーベル賞受賞者や芸能人、オリンピック・パラリンピックのメダリストも含まれる。
著名人だけではなく、農家や看護師、ボランティアなど各分野で地域社会に貢献してきた人も多く招かれる。上皇・上皇后両陛下は戦没者遺族や被災地の自治体の長らが招かれた際、いたわりや励ましのお言葉をかけるなどのお気遣いをされていた。
記憶に残る「特別誘導者」
両陛下との懇談内容が報道される招待者を「特別誘導者」といい、その顔触れは宮内庁担当の記者らのリクエストによって決まる。園遊会は宮内庁が両陛下と招待客らとの会話を録音し、報道することを認めている唯一の機会なので、記者らは世間の関心の高いと思われる招待客らを選び、ピンマイクつけて懇談に臨んでもらう。
特別誘導者との間では数々の忘れがたいエピソードが生まれた。
柔道の山下泰裕選手(当時/昭和57年春)、国民的人気者だった双子の成田きんさんと蟹江ぎんさん(平成5年春)、女優の森光子さん(平成21年秋)、サザエさん役で知られる声優の加藤みどりさん(平成24年秋)らが皇室の方々と交わしたユーモラスな会話、被災自治体の首長らへのねぎらいの言葉など、『99号』では記憶に残るエピソードの数々を紹介している。
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