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ニッポン超絶技巧――職人さん探訪

第2回 左官の匠―その18
令和8年8月19日
黒は“粋な色”
 しかし、どうして「黒」なのでしょうか。長谷さんに尋ねてみました。
「先に黒ノロの油煙の主成分は炭素だと言いましたが、ダイヤモンド=炭素であることからもわかるように、炭素は地球上で一番硬い元素のひとつですよね。だから、漆喰の表面に炭素の薄い膜を塗ることで強度を高めているのでではないかと思います。昔の人は成分分析は知らなかったでしょうけれど、経験則から知っていたのではないでしょうか。あとは黒が“粋な色”ということですね」
 左官が使う日本の土の色は、最も標準的な黄土(おうど)、鉄分を含んだ赤土(あかつち)・紅土(べにつち)、珪藻土(けいそうど)などの白土(しろつち)、少し青っぽい浅黄土(あさぎつち)、そして黒土(くろつち)などが代表的です。
「布などの染色なら藍色とか茜とかいろいろありますけど、左官は染料として使われるような植物由来の色は使わないんですね。土本来の色しか使わないので、色数は少ないのですが、その中で昔から黒は“粋な色”として重宝されていたんです」
 そういえば「♪粋な黒塀 見越しの松に~」という有名な歌詞もありました。この連載の「その12 https://www.nihonbunka.or.jp/column/yomimono/detail/100843」で紹介した増田町の内蔵を見ても、粋なうえに重厚感や高級感も感じられます。



真夜中から汗を拭く
 こうして黒ノロ掛けの作業は終了しましたが、実はこの後にとても重要な工程が残っています。「汗拭き」です。
 長谷さんが、「漆喰の壁は呼吸しているとよく言われますが、空気中の水分を吸ったり吐いたりして湿度調整をしています。黒ノロを塗った後も中の水分が染み出てくるので、それを拭き続けなくてはならないんです」と教えてくれました。
 季節や天候によっても異なりますが、汗をかき始めるのは、だいたい夜中だといいます。
「今日の気温や湿度なら、汗をかき始めるのは夜中の日付が変わる頃ですね。塗った日の夜に一番たくさん水が出ますけど、次の日の朝や夕方にも出ます。自然乾燥するまで吹き続けるので、3日間くらいは夜を徹して見張ります」



 この汗には先にも説明した遊離石灰が含まれています。漆喰の壁はどんなにツルツルに磨いても細かな穴があるので、汗を放っておくと、遊離石灰がその穴に入り込んでしまって取れなくなるのだそうです。
「人間の汗と同じで、最初は点で吹き出して、まとまると垂れてくる。そうすると雨垂れみたいになっちゃうんですよ。特に最初に吹き出した分には遊離石灰分が多いので、最初の汗をきちんと拭きとるのが大事。雨が降っていたり、湿度が高いと22時くらいから汗をかき始めますが、今日は湿度もそれほど高くないので、最初に汗をかくのは夜中の12時過ぎ頃かな。それから2時間おきに見に行って水分を拭き取ります」
 拭き取るのは濡らした雑巾です。雑巾はこまめに洗わないと、逆に遊離石灰を広めてしまうことになります。

職住接近だからこそ可能だった仕事
 この日、汗拭きを行なうのは若手の古川さんです。
「明日の朝6時頃には長谷さんが来てくれるので、それまでは僕が汗を拭きます。だから、いつもは現場に車で通っているんですけど、今日は電車で来ました。汗拭きの翌日に徹夜状態で車を運転してはいけないと会社から言われたので。明日は夕方に来て、また夜中に汗を拭くことになっています」(古川さん)
 仕上がりに直結するので大事な作業とはいえ、大変です。
「こういう作業は、昔はどうってことなかったと思うんですよ。左官もたくさんいたし、左官の仕事もたくさんあったので、職住接近で近場の左官が手掛けていたはずなんです。だから寝る前とか、朝起きてすぐとかに、ちょっと見に来て汗を拭くってやってたと思うんですよね。親方の家に住んで修行する丁稚制度もあったので、もしかしたら若手が行かされていたかもしれません」(長谷さん)
 なるほど。確かに職住接近なら、こういう作業も現在ほどの手間にはなりません。
「だから今の労働形態で昔の建物を昔と同じように復元するのは、本当に大変なんです。今の状況とは合っていないものを求めているし、求められている。働き方改革とは真逆ですからね。左官だけではなくてどの伝統産業もそうでしょうけど、産業構造、町の構造、人々の労働意識、そういうすべてが仕事に影響しているんです」(長谷さん)



 文化財を残そう、伝統を継承しようという掛け声は確かに素晴らしい。しかしその現場を担う職人さんたちが置かれている現状は厳しいのです。お金も使い放題、時間も人手もたくさんあるなら可能かもしれませんが、実際は限られた予算、時間、人材、さまざまな規則のなかで対応せざるをえないのです。
「今が過渡期なのかもしれません。まだ今なら昔の技術を知っている人が残っていますけど、この先はどうなるのか。むしろ潔く“できないものはできない”と言える状況になっているかもしれませんね」
 職人さんのやる気や頑張りにたよっているだけでは追いつかない時代がすぐそこまで来ているのことを実感しました。

(次回:8月26日予定 取材・文/岡田尚子)

その17(前回)https://www.nihonbunka.or.jp/column/yomimono/detail/100907
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