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衣替えの時期は幕府が決めていた?引き続き、日本の暮らしから着物離れが止まらない内的要因を考察していきます。前回は、江戸時代の衣替えのルールと、そのルールが明治時代になってもしっかり守られていたことについてお話ししました。
しかし、どうして私たち日本人はこんなに衣替えを気にするのでしょうか?
ちょっと話はずれますが、衣替えについて調べていたら、意外なことがわかりました。衣替えは、平安時代に中国から伝わってきたもので、宮内庁のサイト(https://kyoto-gosho.kunaicho.go.jp/blog/d4c24cf20835475f8211705b42010750)にも「更衣(ころもがえ)は、平安時代から宮中の年中行事として、旧暦の4月1日と10月1日に季節に応じて衣服、および室内の調度や敷物をかえる、新しい季節の到来を告げる風物詩でした」とあります。
江戸時代になると、着物の種類が増えたため、気候に合わせて年に4回衣替えをすることが武家社会で定められました。これが庶民にも広がっていき、先に紹介した衣替えのルールができました。さらに明治5年(1873)、明治政府によって改暦という大改革が行われます。このとき、明治政府は役人や軍人の制服を洋服と定め、あわせて6月1日~9月30日を夏服、10月1日~5月31日を冬服と定めました。
衣替えの時期が幕府や政府によってきめられていたとは知りませんでした!びっくりです! こうしてみると、衣替えの意識が私たちの社会の隅々までいきわたっているのも当然ですよね。
しかも着物が日常のものから晴れ着となって、日本文化や日本の伝統という枠にがっちり組み込まれている現代……。こういう状況だと「伝統は尊重しなければならない」「間違ってはいけない」と、ここでもまた完璧主義者のルールエスカレートの法則が働き、5月は暑くても袷(あわせ)! 単衣(ひとえ)は6月から! 絽(ろ)や紗(しゃ)の薄物は7月から!と主張する人が出てくるのもしかたないのかもしれません。
「今は暦で衣替えをするのではなく、気温で決めましょう」と勧めてくださる呉服屋さんも出てきましたが、着物初心者の人は、衣替えのルールに限らず自分の判断に自信が持てず、昔のルールを押し付けてくる人(着物警察)に対して異を唱えることは難しいでしょう。

もしかしたら「思いやり」かもしれない
私も着物初心者だった頃、着物を着ておずおずと出かけたとき、「この着付けで大丈夫かな、何か言われたらどうしよう……?」と不安でたまりませんでした。と同時に、どうして人の着物や着方を批判してくるのだろうと、ずっと不思議でした。
洋服なら、アクセサリーの色があってないとか、ドレッシーな服にカジュアルなものを合わせたからといって、それを人前で、しかも知らない人に注意する人はいないからです(テレビのファッションチェックはまた別の話)。着物だけが小さなミスを指摘され、批判され、「完璧に着なければならない!」という思考に縛られているようです。
ではこんなにも人を不安にさせ、着物初心者の足を引っ張る着物警察はどうして生まれたのでしょうか?
ここで、私、ものすごく大胆な発言をします。驚く人もいるでしょう。でも、私は本気で思っているのですが、最初に世に出てきた着物着物警察の人は「恥をかかせたくない」という思いやりの気持ちで注意をしているのではないでしょうか?
えええ~~~、あれが思いやり??? あんなに人を傷つけて、不愉快にさせて、こちらの勇気を踏みにじって、あんなの思いやりなんかじゃない! という反論が聞こえてきそうです……。
でも私は、初期の着物警察の方たちが相手を馬鹿にして自分の知識をひけらかしたいだけだったとは思わないのです(中にはそういう心根の人もいるかもしれませんが……)。
着物に関してだけ人に注意をするのは、その裏に自分の持っている知識を初心者(特に若い人)に教えてあげたいという、思いやりと、日本の民族衣装だから正しく着てもらいたいという着物愛がベースにあると思うのです。
着物関連のSNSを見ていると、「結婚式にこの着物で大丈夫でしょうか?」という質問をよく見かけます。その答えの中でとても印象に残ったものがありました。それは「あなたはそれでよくても、結婚式は親族までいらっしゃるので、親族の方に恥をかかせることになりますよ」というものです。
私はその答えを見たとき、なるほど、「こんなに厳しいことを言うのは、質問者だけでなく身内の人の体面まで考えているのか!」と、ちょっとびっくりしました。着物警察とひとくくりにされる人たちの多くは、そこにいる人たち全員のことを考えているのか……と、目から鱗が落ちるような思いがしました。
しかし、問題は、その思いやりが通じていない、というところです。
教養を示すために着るわけではない
日本人には相手の面子を大切に考える国民性があると思います。相手に恥をかかせないように、負担を感じさせないように配慮する心遣いがあります。
例えば、電車で席を譲るとき。私の友人は、以前、妊婦さんと間違えられて席を譲られたことがあり、ものすごく恥ずかしかったと言っていました。そういう話を聞くと、目の前に立った人が妊婦さんなのか、ただのふくよかさんなのか迷う場合はものすごく気を使います。そして間違えても失礼にならないよう、黙って席を立ってその場を離れ、座りたい人が自由に座れるようにします。
高齢者に席を譲る場合も、相手に負担を感じさせないように、「どうぞ」なんて言わず、ただ黙って席を立ち、次の駅で降りるふりをしてドアの前に立つ人もいます。中にはわざわざドアを出て本当に電車を降りたふりをして別の車両に移動するという人もいるらしいですよ。なんという心遣い! これが口に出さない思いやりです。
そして、口に出す思いやりが、そう、あの着物警察です。
私は、彼ら彼女らには基本的には着物愛と思いやりがあるのだと思っていますが、それが伝わらず、着物初心者を怯えさせ、結果的に着物を遠ざけてしまう結果になっています。
着物は教養を示すためのものではありません。伝統に縛られるだけのものでもありません。毎日着る人、たまに着る人、特別な時にだけ着る人……頻度はそれぞれですが、みんな、着たいから着ているんです。着物が好きだし、着ると楽しいし、気分が上がるから着ているんです。現代日本において、着物を着る理由にこれ以外のものはないのではないでしょうか。もっと気楽な気持ちで、着物を楽しみましょうよ。
ここまで日本人の着物離れが止まらない内的理由について書いてきました。ここにも日本人ならではの心性が宿っていることが垣間見えたように思います。次回は「着物離れ」と言われて久しい日本の、新たな潮流について書いてみたいと思います。
前回はこちら https://www.nihonbunka.or.jp/column/yomimono/detail/100941
●赤星たみこ/1957年、宮崎県生まれ。千葉県八街市在住の漫画家にしてエッセイスト。映画化、ドラマ化された作品多数。猫と着物と生活の知恵を愛する石鹸ユーザー。
アバンギャルド(Avant-garde)とは、既成概念を打ち破り、前衛的で革新的な表現を追及する芸術スタイルのこと。オバンギャルドは、前衛的で既成概念を打ち破りつつ、長く生きてきたオバサンとしての矜持も併せ持つ生き方のこと。ワタクシ赤星の造語です。
