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いろいろなスポーツの「天皇杯」や「皇后杯」。あるいは競馬の「天皇賞」や大相撲の「天皇賜杯」。
よく聞く言葉だが、天皇杯はサッカーにはあるがラグビーにはない。
同じ野球でも東京六大学野球にはあるが、プロ野球にはない。
こういった違いはどこから来ているのか。
実は天皇杯や皇后杯には、近代日本のスポーツの発展と密接な関係があるのだ。
皇族賜杯とあわせて、その興味深い歴史をひもとく。
(91号より)
勝者を称え、燦然と輝く天皇杯と皇后杯
菊花紋章入りの銀製トロフィー
天皇杯、天皇賜杯とは主にスポーツ競技の全日本選手権などで最高成績を収めたチームや個人に対し、天皇から与えられる優勝杯のことである。女子優勝者もしくはチームに皇后から与えられる皇后杯、皇后賜杯も同様である。
しかしすべての競技に天皇杯、皇后杯が下賜されているわけではない。下賜されるには相応の歴史や競技レベルが必要とされる。また、天皇杯、皇后杯ともに下賜されている競技もあれば、天皇杯もしくは皇后杯のみの競技もある。
杯そのものはともに菊花紋章があしらわれた銀製のトロフィーである。ただ天皇杯に相当する競馬の天皇賞は杯ではなく盾が下賜されている。
天皇杯、皇后杯は基本的に競技大会を管轄・運営している競技団体に対して下賜されており、競技団体の多くは日本一を決定する選手権大会を授与対象の大会としている。なにか不祥事を起こした場合は辞退する場合もある。たとえば現役力士が野球賭博に手を染めるという不祥事を起こした日本相撲協会は平成22年七月場所の天皇賜杯を辞退した。
下賜は原則として1競技につき1団体である。例外が2競技あり、相撲は日本相撲協会と日本相撲連盟に、陸上競技は日本学生陸上競技連合と日本陸上競技連盟に下賜されている。
スポーツ以外では(公財)日本農林漁業振興会が主催する農林水産祭の各部門(農産・蚕糸、園芸、畜産、林業、水産、多角化経営、むらづくり)で最上位になった個人・団体に天皇杯が授与されている。

天皇杯は競馬から
天皇杯につながる最初の事例は競馬にある。慶応2年(1866)に建設が許可された横浜の根岸競馬場は、明治政府による西洋化政策のもとで重要な外交の場となっていた。
明治13年(1880)、その根岸競馬場で居留外国人にまじり皇族や明治政府の要人も会員に名を連ねた日本レースクラブが結成され、競馬が開催された。このとき明治天皇から下賜された優勝馬主賞品(金銀銅象嵌銅製花瓶一対)が、最初の賜杯である。この賜杯は、明治期の日本がイギリスを手本にしていたことから、競馬に賞品を下賜するというイギリス王室の伝統に倣ったという見方もある。
翌14年には初の天覧競馬が盛大に開催され、明治38年(1905)には明治天皇から下賜された「菊花御紋付銀製花盛器」を賞品として、「The Emperor’s Cup」(エンペラーズカップ)が創設された。
昭和11年(1939)に「日本競馬会」(現・日本中央競馬会)が設立。各地の競馬倶楽部が統合され、同年秋に「天皇賞」の第1回が行われた。
そして第1回エンペラーズカップから100年となる平成17年(2005)10月30日、上皇・上皇后両陛下が東京競馬場を訪れ、「エンペラーズカップ100年記念 栄光の天皇賞及び第132回天皇賞競走」を鑑賞・観戦された。これは実に100年ぶりの天覧競馬であった。
プロ野球に天皇杯がない理由
大相撲への下賜は昭和天皇によって行われた。大正14年(1925)4月29日、当時の摂政宮(後の昭和天皇)の24歳のお誕生日を祝して、赤坂御用地の芝生に土俵が設けられ、祝賀相撲が行われた。日本相撲協会(当時は東京大角力協会)は、昭和天皇から慰労金として下賜された金一封を元に「摂政宮賜杯」を作った。これが今日まで続く天皇賜杯である。
硬式野球の天皇杯の歴史も大正時代にさかのぼる。大正10年(1921)から摂政に就任した昭和天皇は、同15年10月23日、明治神宮外苑野球場で行われた東京六大学野球選抜選手による紅白戦を観戦された。この時に東京六大学野球に優勝カップ「東宮(摂政)杯」が下賜され、大正16年から春・秋季リーグの優勝チームに授与されるようになった。
東京六大学野球は第2次世界大戦による中断を経て、昭和21年(1946)春に復活。同年秋に改めて天皇杯が下賜された。
同じ硬式野球のプロ野球には賜杯がないのは、先にも述べたように1競技につき1団体という原則があるからである。プロ野球より前に盛んになった東京六大学野球に下賜されたのは時代の流れというものだろう。
ちなみに軟式野球は違う競技との認識で、日本軟式野球連盟に天皇杯が下賜されている。また日本学生陸上競技連合会と日本水泳連盟に下賜された天皇杯は、東京六大学野球同様に大学スポーツを授与対象としている。
皇室によるスポーツ支援の証
「天皇杯」といえばサッカー
サッカーへの賜杯も大正時代にさかのぼる。
大正7年(1918)、東京など3都市でサッカーの試合が行われた際、日本でのサッカーの普及を願って、イングランドサッカー協会(The FA)から優勝杯が寄贈された。純銀製の「FAシルバーカップ」が届くと、大正10年、大日本蹴球協会(現・日本サッカー協会)が設立され、同年に天皇杯の前身となる「ア式蹴球全國優勝競技會」が開催された。「ア式」とは、明治時代に日本にサッカーが「アソシエーション・フットボール」として伝来した際の訳語である。
同競技會は翌年からFA杯全日本蹴球選手権大会と名前を変え、サッカー日本一を決める大会として続けられたが、昭和20年(1945)、FAカップは金属供出で政府に献納され、溶かされてしまった。
昭和21年、「復興第1回全日本サッカー選手権大会」が開催され、翌22年に昭和天皇と上皇陛下が観戦されたことから、昭和23年に天皇杯が下賜されることになった。同26年以降は全日本選手権の優勝チームに授与されることになり、大会名にも天皇杯を冠することになった。大会名に「天皇杯」を入れたのはサッカーが最初である。
天皇杯下賜そのものは昭和23年であるが、サッカー協会では大正10年(1921)のア式蹴球全國優勝競技會を第1回の天皇杯の大会としており、令和2年が第100回の大会であった。
平成24年(2012)には、前年のFIFA女子サッカー・ワールドカップで日本代表が優勝したことがきっかけとなり、皇后杯がJFA全日本女子サッカー選手権大会優勝チームに授与されることになった。
国民体育大会の開催と他競技への下賜
上記4競技を別にすると、他競技への下賜は戦後に行われた。昭和20年代には日本水泳連盟や日本テニス協会、日本バレーボール協会など多くの団体に天皇杯、皇后杯が下賜された。これは同21年に第1回が開催された国民体育大会がきっかけになったと考えられる。
一方、連合国軍の占領政策によって武道が全面的に禁止されていたため、武道競技団体への下賜は遅れた。全日本柔道連盟には昭和27年(1952)に天皇杯、平成4年(1992)に皇后杯。全日本剣道連盟には昭和33年(1958)に天皇杯、平成9年(1997)に皇后杯。全日本弓道連盟には昭和35年(1960)に天皇杯、平成9年(1997)に皇后杯。全日本空手道連盟は天皇杯、皇后杯共に平成28年(2016)。全日本なぎなた連盟には皇后杯のみが平成7年(1995)に下賜された。

パラスポーツへの下賜
平成30年(2018)3月、翌年に退位を控えた上皇・上皇后両陛下はパラスポーツの大会に初めて天皇杯と皇后杯を下賜された。
日本車いすバスケットボール選手権大会(天皇杯)、日本女子車いすバスケットボール選手権大会(皇后杯)、飯塚国際車いすテニス大会(天皇杯、皇后杯)、全国車いす駅伝競走大会(天皇杯)の各大会である。
その背景には、昭和39年(1964)の東京オリンピック以降、障害者スポーツが普及し、健常者のスポーツと同様に競技性の高いものになってきたという事実がある。国内の障害者スポーツの黎明期からその普及と発展を見守り続けてこられた上皇・上皇后両陛下のご尽力は、パラスポーツに対しての天皇杯、皇后杯の下賜という形で結実したのである。
日本のスポーツを支えてきた
天皇杯、皇后杯の歴史を振り返ると、歴代天皇をはじめとする皇室が一貫してスポーツを奨励されてきたことがわかる。と同時にその重みにも気づかされる。
下賜された競技団体には競技レベルを維持・向上させ、賜杯にふさわしい大会を開催す続けることが求められる。日本一を決定する大会が授与対象となっていることが多いため、大会にかける選手の思いも強い天皇杯、皇后杯は日本のスポーツを支える一助となっているのである。
皇族方によるご支援――皇族賜杯
皇族方はさまざまなスポーツ競技団体の総裁を務めておられることから、多くの競技大会にご自身のお名前を冠した杯を下賜されている。
賜杯が多いのは宮様スキー大会で、秩父宮杯、高松宮杯、三笠宮杯など15以上の賜杯がある。この大会は昭和3年(1928)、「スポーツの宮様」として知られた秩父宮雍仁(やすひと)親王が高松宮宣仁(のぶひと)親王とご一緒に北海道を訪問した際に開催された大会をもとに生まれた。現在も毎年、多くの皇族方が大会に足を運ばれている。
ほかにも秩父宮は自転車競技、大学駅伝、バドミントンなどに、高松宮はバスケットボールやハンドボール、銃剣道などに杯を下賜されている。弟の三笠宮崇仁(たかひと)親王はダンスの普及に尽力されたことから、全日本ダンススポーツ選手権とアイスダンシング競技大会に三笠宮杯を下賜された。
常陸宮殿下はスキーや相撲の大会に、学生時代に馬術部で活躍された常陸宮妃殿下は女子馬術の大会に賜杯を下賜されている。
秩父宮、高松宮の甥としてご幼少のころからお二方の薫陶を受けた寬仁(ともひと)親王も、ボウリングやビリヤードなど、幅広いジャンルの大会に優勝杯を下賜された。平成24年(2012)に薨去(こうきょ)された後は、妃殿下、彬子(あきこ)女王殿下、瑶子(ようこ)女王殿下のどなたかが賜杯を授与されている。
平成26年に薨去された桂宮宜仁(よしひと)親王は、水上スキーの2つの大会にその名を残された。
生前に多くのスポーツ団体の総裁を務めた高円宮憲仁(のりひと)親王はサッカーをはじめ学童軟式野球、ホッケー、フェンシングなど多くの競技団体に高円宮杯を下賜された。現在は妃殿下と承子(つぐこ)女王殿下がご遺志を継ぎ、各スポーツ団体の総裁を務めると同時に、各大会で高円宮杯を授与されている。
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