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伊勢神宮(正式名称は神宮)では、20年に一度、御社殿と御装束神宝(おんしょうぞくしんぽう)を新たにして神様にお遷りいただき、神威のより一層の高まりを願う至高の祭典「神宮式年遷宮(じんぐうしきねんせんぐう)」が斎行されています。
第63回神宮式年遷宮では、令和15年に神様を新宮(にいみや)にお遷しする遷御(せんぎょ)が行われる予定です。令和7年5月から開始されているその諸祭儀の模様は、季刊誌『皇室』の連載「第63回神宮式年遷宮」で詳しくお伝えしています。
この連載では誌面で紹介しきれなかった令和7年6月初旬の「御神木奉迎送(ほうげいそう)」をご紹介。木曽地方で伐り出された新宮ご造営のための御神木が、およそ1週間をかけ、長野、岐阜、愛知、三重の各県下で熱烈な歓迎を受けながら伊勢へと運ばれていった様子をお伝えします。

金色の町に到着
令和7年6月5日の「裏木曽御用材伐採式(うらきそごようざいばっさいしき)」で伐り出された御神木は、岐阜県中津川市付知町(つけちちょう)の護山(もりやま)神社にご宿泊。翌6日には市内各所を経て、JR中津川駅周辺をお木曳(きひき)されて「にぎわい広場」に到着。同所で1泊した後、翌7日には瑞浪(みずなみ)市、可児(かに)市を経て、岐阜市に向かいました。
御神木を追いかけ、6月7日の昼下がりに岐阜駅に降り立った筆者。駅北口から直結のデッキへ出ると、視線の先に、高い台座の上にすっくと立つ黄金の像が飛び込んできました。ちょんまげにちょび髭のきりりとしたその顔貌は、織田信長公! 案内板などによれば、台座までの高さは約8m、像の高さは約3mで金箔3層貼り。マントを羽織り、右手に「種子島」(鉄砲のこと)、左手に西洋兜(かぶと)を持った信長公の姿です。永禄10年(1567)に「井の口」から「岐阜」と地名を改めた信長公は、「楽市楽座」など新たな政策を取り入れ、岐阜のまちの発展に尽力したのだそう。なるほど~、そうだったんですね。それにしてもインパクトのある像です。

そうそう、駅のデッキに「長良川鵜飼」の鵜匠(うしょう)さんたちの大きな垂れ幕があったのもインパクトがありました。長良川では、皇室の保護のもと「御料(ごりょう)鵜飼」が行われていて、鵜匠さんたちは宮内庁式部職(しきぶしょく)に属しています。

話が逸れましたが、本題に戻りましょう。駅前からまっすぐ北へのびる目抜き通り「金華橋(きんかばし)通」を進んで、御神木のトラックが到着する予定の「柳ヶ瀬」信号付近へ向かいました。柳ヶ瀬といえば、岐阜県随一の歴史ある歓楽街。昭和世代には、美川憲一さんが歌って大ヒットした曲「柳ヶ瀬ブルース」でおなじみかも。
この日は片側が通行止めになっている金華橋通や沿道には、これから行われる御神木の歓迎行事に参加する人たちや、見物の人たちがたくさん集まっています。行事のメインは御神木の「奉曳(ほうびき)」で、参加者はみな白い法被を着て、額には神宮を表す「太一」の鉢巻を着けています。
「わっしょい、わっしょい」の声で練っているのは、今日の御神木の宿泊地となる金(こがね)神社の御神輿(みこし)です。御神木をお迎えするため、氏子連中に担ぎ出されて威勢よく練り、お祭り気分を盛り上げます。

金華橋通では、すぐにでも奉曳を始められるよう、法被姿の人たちが隊列を組んでいます。御神木の到着を今か今かと待ち受けていますが、到着予定時刻の15時を過ぎても、御神木のトラックはなかなかやってきません。待ちくたびれそうになったころ、ついに御神木のトラックがやってきました! 先日、護山(もりやま)神社から御神木を積んできた、あの紅白のトラックです。みんな一斉にスマホを構えて、盛んにシャッターを切ります。
トラックの荷台には、3本の御神木が積まれています。後ろから見て、上が裏木曽御用材伐採式で伐り出された内宮(ないくう)御料、下右が同じく外宮(げくう)御料、下左が外宮予備木で、それぞれの木口(こぐち)には白い和紙が貼られています。

さっそくトラックに奉曳のための曳き綱が取り付けられます。長くのばした曳き綱を法被姿の人たちが手にし、いざ奉曳開始! 先頭は地元小学校の児童らによる鼓笛隊です。そろいのTシャツにズボン、ベレー帽姿で、高らかに演奏し、奉曳に華を添えます。

その後には、大麻(おおぬさ)で辺りを祓いながら進む、金神社の宮司さんはじめ神職さんたち。そして、奉曳の法被姿の人たち、御神木のトラックが進み、しんがりは金神社の御神輿。長い列が金華橋通を南へ向かってゆっくり進んでいきます。

岐阜市には初のご宿泊
御神木の隊列は金華橋通を300mほど進み、金神社向かいの公園手前の地点で奉曳は終了。ここから、御神木のトラックは金神社へ向かいます。神社の境内にも公園にも、御神木の到着を見届けようと人だかりができています。大勢の人たちが見守るなか、御神木のトラックは神社境内へ入っていきました。

ところで、金神社で目を引くのが、入り口に建つ鳥居。これがまた、社名に違わぬ金色なのです! あの駅前の金色の信長公の像といい、この鳥居といい、どうやら岐阜市は「金」と縁が深い土地柄のようです。市内を見下ろす金華山も、もとは稲葉山(いなばやま)と呼ばれていましたが、ツブラジイの花が咲くと山全体が黄色くなり、金色に輝いて見えることから「金華山」と呼ばれるようになったとか(諸説あり)。
御神木のトラックは、本殿前の奉安所に入りました。今宵一晩、御神木はこの地に留まります。なんでも、1300年の神宮式年遷宮の歴史のなかで、岐阜市に御神木が宿泊されるのは初めてのことだそう。古くから、産業繁栄、財宝・金運招福、商売繁盛の神として信仰を集め、地元では「こがねさん」と親しまれる金神社。主祭神の渟熨斗姫命(ぬのしひめのみこと)は景行(けいこう)天皇の第6皇女で、御鎮座の年代は成務(せいむ)天皇の御代(みよ)西暦135年にさかのぼるといわれる古社です。
その後、奉迎祭が行われ、地域の伝統芸能などの奉祝行事が行われました。

こうして裏木曽発の御神木が金神社に奉安されるのを見届けた後、筆者はこの日、木曽発の御神木が到着する愛知県一宮市へ向かったのでした。
(次回に続きます)
[取材・文/中尾千穂]
第4回「愛知県犬山市・針綱(はりつな)神社」は↓
https://www.nihonbunka.or.jp/column/koushitsu/detail/100877
第3回「木曽から伊勢へ向けて出発」は↓
https://www.nihonbunka.or.jp/column/koushitsu/detail/100876
第2回「護山(もりやま)神社での御神木祭」は↓
https://www.nihonbunka.or.jp/column/koushitsu/detail/100871
第1回「上松町(あげまつまち)での『お木曳(きひき)行事』」は↓
https://www.nihonbunka.or.jp/column/koushitsu/detail/100628