読みもの

連載 方言「知らんけどね」

第2回「しかぶる」熊本弁 
令和7年8月1日

前回、熊本弁から始まった当連載。今回も熊本弁の第2弾をお届けする。

第2回「しかぶる」熊本弁
 先日、甥っ子が筆者の自宅に遊びに来た。この甥っ子は、筆者と同じ熊本出身で、最近、仕事の関係で東京に住むようになった。
 しこたま酒を飲んで、深夜に帰って行ったが、その翌日に来たメッセージを見て笑った。そこには「また来るね」とあったからだ。これは、標準語に訳すと「また行くね」である。
 そう、熊本では「行く」を「来る」と表現するのである。つまり、相手の立場になって話すのだ。だから、電話でも、先方に行く人が、迎える立場の人に対して「明日、3時に来るから」と言うのである。
 さらに、「また行くね」を熊本弁の言い回しにすると「また来るけん」になるから、もっとややこしい。「けん」は西の地域ではよく使われ、「だから」とか「だよ」の意味になる。その音だけを聞くと「マタクルケン」。しかも、連載第1回で書いたように、熊本弁はイントネーションが希薄だ。初めて聞く人は、「来々軒」など、どこかの中華料理のお店かなにかと思ってしまうかもしれない。
 このように“相手の立場になって言う”話し方は、なんとケンカの場面でも使用される。
「そぎゃんこつば言いよっと、ぬしゃ、打たるっぞ!」
 標準語に訳すと「そんなことを言っていると、お前を殴るぞ!」である。「そぎゃんこつば言いよっと、ぬしゃ」の部分も分かりにくいとは思うが、ここで注目して欲しいのは、「打たるっぞ!」の部分である。つまり、殴ろうとする相手に対し「あなたは、殴られますよ」と受け身の立場に立って、ケンカを売るのである。
 すると相手は、「なんてか、お前ん方が、打たるっぞ!」と返す。標準語の立場で聞いていると、どっちがどっち?と混乱すること請け合いなのである。しかし、その場面に遭遇して、横で笑っていると火の粉はあなたに降ってくるから用心した方がいい。
「ぼてくりかえさるっぞ!」
 こんな言葉が来たら、相当、怒っていると考えた方がいい。この「ぼてくり」「かえす(かます、こかす、まわす)」は、「ぼこぼこに殴る」といった意味の博多方面の言葉のようだが、このさらに受け身系が使われるのである。
 そして、やはり、この受け身系にあたるのが、連載第2回のタイトルにした「しかぶる」なのである。この意味が分かる人が、九州界隈以外でいるだろうか? これは「おねしょ」のことだ。言葉を分解すると「して」「かぶる」。つまり、放尿して、それを被る、だから、おねしょなのである。この場合は相手の立場に立った物言いではないが、これも日常で使われる。以下は、小学生にもなっておねしょをした子が、お母さんに叱られている場面だ。
「小学生にもなって、なんねあんたは、しかぶってから!」
 そう言いながら、母親は布団を干すのである。
文/伊豆野 誠


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