読みもの

和の響き――日本の音色に魅せられて

第2回 篳篥―その1
令和7年10月8日
 この連載では和の響きと、その音の作り手に焦点を当て、いろいろなお話をうかがっています。第2回は雅楽(ががく)の主旋律を担う「篳篥」(ひちりき)のお話です。

第2回 篳篥――大地に満ちる人々のあたたかな声

1 新屋(しんや)さんのこと

雅楽についておさらいしましょう
 今回、篳篥の作り手として登場してくださるのは、雅楽道友会(https://gagaku.com/)の新屋治さんです。第1回に龍笛制作者としてお話を聞かせてくださった藤脇亮さんの兄弟子で、藤脇さん同様、雅楽道友会の中心メンバーとして活動するとともに、有限会社・薗(楽器工房SONO)の代表として楽器を作っています。


 
 雅楽の歴史や雅楽道友会、SONOについては第1回で紹介しましたが、ここでも簡単におさらいしておきましょう(詳しく知りたい方は第1回を参照してください)。
 まず、雅楽は5世紀頃に中国や朝鮮半島を経由して伝わった古代アジア大陸諸国の音楽と舞が、もともと日本にあった音楽や舞と融合した芸術で、10世紀頃に完成しました。その姿は今も1150年前とほぼ同じという奇跡のような芸術です。
 雅楽道友会は昭和42年、元宮内庁楽部楽師でいらっしゃった薗廣教(そのひろのり)さんを中心とし、民間への雅楽の普及および技術向上を目的として発足しました。
 現在はNPO法人(特定非営利活動法人)として活動しており、現代表は、東京都品川区にある下神明(しもしんめい)天祖(てんそ)神社宮司の福岡三朗さんです。福岡さんを支えているのが、新屋さんを含めた5名の運営メンバーで、この5名の方は雅楽道友会の楽器工房SONO(https://gagaku.com/sono/)の楽器制作者であると同時に、楽器と舞の先生としておよそ60名にのぼる会員を教えていらっしゃいます。



篳篥は主旋律を担っている
 雅楽にはさまざまな楽器がありますが、なかでも笙(しょう)、篳篥、笛は「三管」(さんかん)と称し、雅楽に携わる人は三管のいずれかを吹くことが求められます。琵琶(びわ)と筝(そう)はどちらかを演奏し、打物(うちもの)、歌は全員が学びます。舞は、左舞(さまい)と右舞(うのまい)どちらかを学びます。
 さて、今回の主役である篳篥は管絃の主旋律を担う楽器です。西域起源の楽器で、奈良時代直前に中国から雅楽の楽器の1つとして伝わったといわれています。当初は篳篥・大篳篥の区別がありましたが、10世紀には篳篥だけが残りました。



 18センチほどの竹の管に葦(よし)を削って作った「蘆舌」(ろぜつ)というパーツを差し込み、そこから息を吹き入れて演奏する縦笛です。管には九つの指孔があり、細いヒモ状にした樺(かば)もしくは籐(とう)の皮を巻き付け、漆で仕上げています。

 雅楽の三管のうち、笙は天から差し込む光、龍笛は天と地の間を翔ける龍の声、篳篥は大地に在る人の声を表しているとされますが、そのイメージの通り、あたたかい音色が特徴です。音域は約1オクターブと狭いのですが、小さな見かけによらず、非常に強く、大きな音量を出せます。

実家が天理教の教会だったので、雅楽にはなじみがあった
 さて、いよいよ新屋さんに登場していただきましょう。
 品川区の住宅地にあるSONOに取材にうかがったのは令和6年11月28日でした。玄関を開けると新屋さんが迎え入れてくれました。新屋さんが弟弟子と共同で作業している部屋には普通の事務机が2つ、背後には天井まで届く棚が並んでおり、資料や大小さまざまな箱がぎっしり詰まっています。



 まずは新屋さんに篳篥に関わるようになったいきさつを尋ねました。新屋さんは昭和31年、三重県のお生まれです。
「実家が天理教の教会なんです。天理教では祭儀で雅楽を演奏するので、子供のころから親しみはありましたね。ただ子供の頃は特になにかの楽器を演奏することはなくて、高校卒業後は名古屋でサラリーマンになりました」
 三男だったので教会を継ぐ必要はありませんでしたが、23歳の頃、実家の天理教の教会の都合で、三重に帰ることになりました。そのとき、知人から「天理教にかかわるのなら、雅楽をやってみないか」と誘われたのが、人生の転機となりました。
「どの楽器もまったくできなかったので、誰かに習わなくちゃいけないと思い、教えてくれる先生を探したところ、当時東京で内弟子制度を取っていた雅楽道友会しかなかったんです」
(次回更新:10月15日掲載予定 取材・文/岡田尚子)

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