読みもの
小鼓方・成田奏さん「能楽師の道へ再び」#4
中世にさかのぼる伝統芸能である「お能」は、知れば知るほど面白く、人をひきつけて離さない魅力があります。でも、古い時代の言葉づかいや、ゆっくりした抽象的な動きなど、予備知識なしでは難しく感じてしまうことも。
そんなお能の世界の扉をぐぐっと開いてくれるのが「月イチ能楽講座」です。関西の若手能楽師のホープたちによる、軽妙なトークに迫力ある実演を交えての解説は「わかりやすい!」「楽しい!」と評判。そのメンバーのひとり、小鼓(こつづみ)方・成田奏さんが、前回に続き、一度離れた能楽師の道を再び踏み出した当時を振り返ります。

月イチ能楽講座
東京・大阪・京都で毎月開催、毎回お能の1つの曲(演目)を題材に、能楽師シテ方の大槻裕一(おおつき・ゆういち/写真右)、小鼓方の成田奏(なりた・そう/写真中)、大鼓方の河村凜太郎(かわむら・りんたろう/写真左)が、若いエネルギーとみなぎる情熱、関西ノリの話芸とキレのある技で、たっぷり解説。オモシロ企画満載のインスタグラムも必見。
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偉大な師を得た幸運
その後、大阪能楽養成会の謡の稽古とは別に、梅若六郎玄祥(げんしょう)師(現・梅若実桜雪/ろうせつ)に、なんと謡の稽古をつけていただけることになった。現代の能楽界を代表するシテ方の人間国宝で、お若い頃から関西での公演も多かった師には、父が大変お世話になっていたのだ。師に稽古をつけていただけることは、僕にとってこれ以上ない幸運で、それからの能への向き合い方には、師から大きな影響を受けていると思う。

初めて師のもとに伺った日は、『羽衣(はごろも)』の「クセ」という場面の謡の稽古をつけていただいた。その後は、僕が希望する曲を稽古させてくださった。稽古では、初めに師が最近勤められた舞台のお話が伺える。「国立能楽堂で〇〇のシテを舞った。この曲は〇〇が大切なんだよ」と、当時の僕が勤めるはずのないような重い演目の話も詳しく教えてくださった。また、「〇〇先生の小鼓は~~」「大鼓の〇〇先生の掛け声が~~」など、囃子についても熟知された師ならではのお話を伺うことも多く、とても貴重な時間だった。能の話だけで1時間以上経っていたこともあったが、師のすべての言葉に「能の話をすることが楽しくてたまらない」という思いがこもっていたと感じる。
お話の後は、先生が謡と大鼓と太鼓をアシラって(掛け声や扇で間を伝える稽古方法)くださり、僕が小鼓を打つ。このとき謡や間に集中できるよう、事前に手(打ち方)は念入りに頭に入れておく。時折、謡本に書いていないことを教えてくださることもあった。たとえば、「こういう謡い方もある」とか「シテは〇〇な気持ちだから、節はこう扱う」など、かなり具体的に教えていただいた。師の謡で小鼓を打たせていただいたことは大変に貴重な経験になった。よく知られる朗々たる美声はもちろんのこと、師の謡は「ノリ」や「コミ」、「ハコビ」といった、拍子に言葉を乗せて運んでいく感覚や間が抜群なのだ。僕に対する謡の稽古では、こうした囃子方にとって重要となる要素に、とくに重点を置いて教えてくださったように思う。

日によっては、この時点で90分くらい経過していたこともあったが、その後に師は必ず謡の稽古もみてくださった。師が謡ってみせてくださる発声、顔や喉の筋肉の使い方、姿勢、すべてを目に焼きつけ、師が謡われた(自分にとっては初見の)節の扱い方を、その瞬間になんとか頭に刻み込み、それらを再現しようと努める。絶対に見放されたくないという一心で、間違いや絶句(謡の言葉に詰まること)をしないように、とてつもなく集中し、汗だくになりながら謡った。そのお陰で、集中力はそれ以前よりかなり鍛えられたように思う。謡い終わると、師はいつも「うん、いいよ」と仰る。「……ホンマですか!?」と僕は心の中で何度も唱えるが、もちろん口に出したことはない。その後も師は大切な点や難しい部分を丁寧に教えてくださったのだが、それはかなり具体的な注意事項でもあった。
玄祥師の稽古には、新型コロナ渦の時期まではほとんど毎月、7~8年ほど通わせていただいた。この稽古は、僕の能楽師としての大きな糧となっている。

#3の記事は↓
https://www.nihonbunka.or.jp/manage/information/detail/100854
大槻裕一さんの記事は↓
https://www.nihonbunka.or.jp/column/yomimono/detail/100815
河村凜太郎さんの記事は↓
https://www.nihonbunka.or.jp/column/yomimono/detail/100823