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アイルランドの首都ダブリンにある「チェスター・ビーティー」は、アルフレッド・チェスター・ビーティー卿(1875–1968)が世界から集めた文化財2万5千点余のコレクションを所蔵する国立の文化施設です。そのなかから、選りすぐりの日本の物語絵25点を一挙展示する企画展が、東京国立博物館で開催されています。

ビーティー卿はアメリカの鉱山開発で成功し、世界のさまざまな美術作品を収集したコレクターでした。1917年には日本を訪れており、所蔵品のうち日本の美術品は合計1,900点余り。ヨーロッパにおける日本文化研究・普及の拠点のひとつとなっている「チェスター・ビーティー」は、とくに日本の物語絵についてはヨーロッパ随一のコレクションを誇ります。ただ、アイルランド外ではなかなか目にする機会はなく、今回の展示は貴重な機会といえます。

4月27日に行われた同展の開会式には、高円宮妃殿下が臨席され、テープカットに臨まれました。妃殿下は日本とアイルランドの外交関係樹立60周年にあたる2017年(平成29)にアイルランドをご訪問、「チェスター・ビーティー」にも足を運ばれています。

それでは、いくつかの作品をご紹介しましょう。
以下、すべての作品画像は部分。すべての作品はチェスター・ビーティー所蔵
画像:courtesy of the Trustees of the Chester Beatty Library, Dublin

同コレクションの至宝ともいえるのが、玄宗(げんそう)皇帝と楊貴妃の悲恋を描いた狩野山雪(かのうさんせつ/1590-1651年)筆「長恨歌(ちょうごんか)絵巻」です。この作品は、1954年にビーティー卿がロンドンで購入した記録が残されています。
中国唐の詩人・白居易(はくきょい)作の長編の漢詩「長恨歌」は、かつての平安貴族たちの必須教養のひとつ。『源氏物語』をはじめとする王朝文学にも多大な影響を与えたことで知られています。
この作品には上質の絵の具がふんだんに用いられていて、近くで見るとその描写の精緻さにびっくり。きらびやかな宮廷の雰囲気が伝わってくるようです。また、本作は「在外日本古美術品保存修復協力事業」によって日本で修理されたもの。前期は上巻、後期は下巻と、すべての場面が展示されます。

すごい迫力ですね! 武者たちが大きな鬼に斬りかかって、血しぶきが飛び散っています。平安時代の武将・源頼光(みなもとのよりみつ/らいこう)が、その臣下を従え、酒呑童子(しゅてんどうじ)と呼ばれる鬼を退治する物語を描いた絵巻です。恐ろしく血なまぐさい描写でありながらも、絵柄はどこかユーモラス。言葉がなくとも誰もが惹きこまれてしまう魅力があります。
「酒吞童子」のほか「浦島太郎」「ものぐさ太郎」など、室町時代後期以降に成立した「御伽草子(おとぎぞうし)」と呼ばれる短編の物語には、奇想天外な内容のものが多くあります。アイルランドも、動物、聖人、妖精などが登場する神話で知られているとか。ビーティー卿が日本の異類・異界の物語絵に興味を持った背景には、そんな彼のルーツがあったのかもしれません。

なんだが顔色の悪い甲冑(かっちゅう)武者たちが門を押し倒し、門の反対側では異形の者たちが逃げていきます。本作は、芸能の一種である「古浄瑠璃(こじょうるり)」の作品「義経地獄破り」を絵物語化したもの。義経といえば、さまざまな伝説に彩られた英雄ですが、こちらも奇想天外なストーリー。修羅道(しゅらどう)に堕ちて苦しみを受ける源義経主従が地獄を攻略し、閻魔(えんま)の庁を陥落させますが、日に三度身を焼く苦しみは消えず、閻魔王の教えにより阿弥陀如来(あみだにょらい)にすがったところ、極楽往生したというもの。上の画像は、義経たちが今まさに地獄の門を破らんとする場面。武者たちの顔色が悪いのは、地獄に堕ちた死者だからなんですね。
古浄瑠璃は室町時代以降に誕生し、愛好された「語り物」で、物語に節をつけて読み上げ、音楽を伴って舞う芸能です。同じく語り物である幸若舞(こうわかまい)や古浄瑠璃などの芸能は、その物語の内容が好んで絵画化されました。チェスター・ビーティーはそうした幸若舞や古浄瑠璃にかかわる優れた絵画コレクションで知られています。

静謐な雰囲気をたたえたモノトーンの作品は、伊藤若冲(1716₋1800年)が相国寺(しょうこくじ)の禅僧・大典(だいてん)とともに京都から大坂まで淀川下りをした経験をもとに、若冲が風景を描き、大典が詩文を綴り、版画巻として制作されたもの。絵柄を凸版でつくり、その上に紙をのせ、彫った部分に紙を押しこみ、白く残す「拓版画(たくはんが)」と呼ばれる技法が用いられています。画巻が広げられた展示ケースの前を少しずつ横に移動しながら鑑賞していると、ゆったりとした川の流れに身を任せて自分も舟に乗っているかのような、なんとも不思議な感覚を覚えました。
版画作品の「乗興舟」には、彫や摺に微妙な差異のある約15点の作品が存在することが確認されています。その中間あたりに摺られたチェスター・ビーティー本は、紙継ぎ周辺の処理や文字の位置などが改良され、若冲の目指した完成形に近づいた段階の摺ではないかと考えられています。
余談ですが、今回伺った内覧会で「日本で巻物を展示するのによく用いられる横長のケースは、欧米ではあまりみられない」という話を耳にして、なるほどと思いました。本展は、状態の良い優品の絵巻や絵本を、間近でじっくりと鑑賞できる貴重な機会です。また、日本とアイルランドの美術を通じた交流を知る機会にもなりました。現代のマンガの源流ともいえる日本の絵巻や絵本。ぜひその面白さに触れてみてください。
特別企画 アイルランド チェスター・ビーティー・コレクション
絵巻と絵本のたからばこ
会場:東京国立博物館 本館2階 D室 E室
会期:2026年4月27日(月)~7月20日(月・祝)
詳細は下記サイトへ
https://www.tnm.jp/