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根津美術館 特別展「舞楽装束 受け継がれる染織の美」
令和8年10月29日


 日本の伝統芸能・雅楽(ががく)の舞楽装束(ぶがくしょうぞく)に焦点を当てた展覧会が、東京・南青山の根津美術館で11月23日まで開催されており、国宝、重要文化財を多数含む約50件の貴重な品々が展示されています。
 
 雅楽は、古来より日本に伝わってきた歌と舞に、5世紀頃から中国や朝鮮半島を通じて伝来した古代アジア大陸諸国の音楽と舞が融合した芸術で、ほぼ10世紀に完成しました。
 雅楽は、国風歌舞(くにぶりのうたまい)と呼ばれる日本古来の歌や舞、外来音楽を基とする大陸系の楽と舞、そして平安時代に成立した歌謡を指す歌物(うたもの)の3つに分かれます。このうち舞を伴うものを「舞楽」と呼び、今回の展覧会では、その舞楽装束の中世以来の変遷を見ることができます。
 舞楽装束は実際に着用されるものであり、消耗品としての性格が強いため、現在に伝わる装束の多くは江戸時代中期から明治時代にかけてのものです。雅楽が成立した平安時代の様相を伝える品が残されていないなか、本展で展示された中世期の装束は、舞楽装束の変遷や、日本の染織史を考えるうえで実に重要な伝来品なのです。

平安時代の衞府(えふ)の武官の制服が原形
 ここで雅楽の歴史を簡単に説明しておきましょう。
 大宝(たいほう)元年(701)、大宝律令(たいほうりつりょう)が制定された際、宮廷の音楽や舞の演奏、伝承、および後継者の育成を担う機関として「雅楽寮(うたまいのつかさ)」が設置されました。
 平安時代(794~12世紀末)に入ると、楽(がく)や舞は宮廷の儀式や年中行事に取り入れられ、貴族自身もたしなむようになるなど、貴族社会の中で発展していきました。
 その後、宮中の警護を担う衞府(えふ)の官人も関わるようになると、天暦2年(948)、彼らが宮中で演奏する際の控え場所として「楽所(がくそ)」が設けられ、次第に楽所が雅楽の管理・伝承の中心となっていきました。このため、舞楽装束には、衞府の武官の制服の要素が、華やかさを加味した形で多く取り入れられています。
 平安時代は日本の気候風土や日本人の感性に合わせた「国風文化」が発展した時代でもありました。雅楽の演目を中国系の左方(さほう)と朝鮮半島系の右方(うほう)という2つの系統に整理する和様化も進みました。服装においても国風化が進み、日本独自の気候や美意識に合わせた公家装束が確立。舞楽装束にも影響を与えることになりました。
 また宮中においてだけではなく、各地の有力寺社の祭礼や法会(ほうえ)に舞楽が取り入れられるようなると、寺社も伝承の重要な場となりました。なかでも奈良・興福寺(こうふくじ)の南都楽所(なんとがくそ)、大阪・四天王寺の天王寺楽所は、宮廷の大内(おおうち)楽所と並び称されるほどの実力と規模を持つまでになりました。本展でも、和歌山・高野山天野社(あまのしゃ)の室町時代の装束、四天王寺の桃山~江戸時代にかけての装束、栃木・輪王寺(りんのうじ)の江戸時代の装束などが展示されており、往時の高い染色技術や魅力的なデザインを見ることができます。

高野山天野社の舞楽装束
 それでは順に展示品を見ていきましょう。
 本展は「プロローグ」「中世の舞楽装束」「近世の舞楽装束」「エピローグ」の4つのセクションに分かれており、順に見ることで舞楽装束の変遷を辿る構成となっています。
「プロローグ」では、室町時代に描かれた『舞絵』(紙本墨画 室町時代・14~15世紀/陽明文庫蔵)が展示されています。先に雅楽の演目は中国系の左方と朝鮮半島系の右方に大別されると説明しましたが、この作は大別される前の様相を描いたもので、舞楽装束の原形が見られます。

「中世の舞楽装束」では中世染織の粋を今に伝える高野山天野社の舞楽装束が展示されています。天野社は現在の丹生都比売(にうつひめ)神社。弘法大師が建立した高野山金剛峰寺と密接な関係にあり、修学を妨げるとして管絃歌舞が禁止されていた金剛峰寺にかわり、定期的に舞楽奉納が行われていました。
 なかでも目を引くのは薄紅薔薇反橋模様(うすべにじばらそりばしもよう)の水干(すいかん)と括袴(くくりばかま)です。括袴は、裾に通した紐をしぼって着用する袴です。こちらは子供によって舞われる「童舞(どうぶ)」の装束で、蔓薔薇(つるばら)や反橋、流水などが色とりどりの色糸で刺繍されています。蔓薔薇のデザインが非常に愛らしく、子供が着用して舞う姿を思うと微笑ましくなるような装束です。リハーサル用ということまではわかっているようですが、どのような演目で用いられていたのでしょうか。



 その隣には縹地獅子丸模様(はなだじししまるもよう)の蛮絵袍(ばんえほう)が展示されています。蛮絵とは、鳥獣や草花などを丸く図案化した意匠で、衞府(えふ)の制服に用いられていました。先にも書きましたが、衞府の官人が雅楽に携わるようになったため、その意匠が舞楽装束に取り入れられたのです。600年ほど前のものですが、口を大きく開けた獅子が生き生きと描かれており、その目鼻口や爪などに施された朱や胡粉(ごふん)、金泥(きんでい)がきれいに残っていることに驚きます。



 白地紺菱模様(しろじこんひしもよう)の下襲(したがさね)は、そのモダンなデザインが印象的でした。下襲とは、公家装束の束帯(そくたい)の袍(ほう)の下に襲(かさ)ねて着用するもので、公家装束の影響を受けた舞楽装束においても、一番上に着る袍の下に着ます。
 この下襲は大きな菱を紺の絞り染めで大胆に表し、身頃の下部から裾にかけての周囲には11種類の錦がパッチワークのように縫い合わせたつなぎ目を組紐で伏せています。また襟と袖先(そでさき)には赤い平絹が綴じつけられています。色と柄の取り合わせに、室町時代の人々のセンスの妙を感じます。

失われた童舞
 舞楽装束には「裲襠(りょうとう)装束」という装束のジャンルがありますが、現存する最古の金襴製の裲襠も展示されていました。南北朝時代の永和4年(1378)に制作された紺地二重蔓牡丹唐草模様(こんじふたえつるぼたんからくさもよう)の裲襠です。
 裲襠装束とは袖がなく、頭から被って着用する貫頭衣(かんとうい)で、その周囲に絹糸の房や毛をあしらったものを毛縁(けべり)裲襠、金糸を織り込んだ絹で縁取ったものを金襴縁(きんらんべり)裲襠といいます。
 この最古の金襴製の裲襠は毛縁裲襠で、サイズが小さいことから童舞に用いられたようです。現在、子供を舞手とする舞楽は「胡蝶(こちょう)」と「迦陵頻(かりょうびん)」の2つのみですが、本展ではこの装束に加え、「陵王(りょうおう)」も子供が舞っていたことがわかる「羅陵王図」(伝 土佐行秀筆)が展示されており、かつて舞楽において子供が果たしていた役割の大きさがうかがえます。





「中世の舞楽装束」では、上記のほかにも天野社が京都に童舞装束を注文した文書(国宝「高野山天野舞童装束注文(こうやさんあまのぶどうしょうぞくちゅうもん)」/和歌山・金剛峰寺蔵)や、安倍季英(あべのすえひで)が11人の舞人を写した「舞楽図鑑」などが展示されていました。



四天王寺に伝わる「太平楽」装束
 続くセクション「近世の舞楽装束」では、大阪・四天王寺と栃木・輪王寺に伝わる装束が展示されています。
 聖徳太子の創建とされる四天王寺では、法会のために舞楽が奉納されてきました。天正4年(1576)、戦火により舞楽所用具は焼失しますが、豊臣家の寄進によって再興されました。
 本展では、「太平楽(たいへいらく)」の所用具一式が展示されています。「太平楽」は、明治以来、天皇即位の際に宮内庁楽部によって舞われるようになりましたが、四天王寺では、聖徳太子の命日(旧暦2月22日)に行われる聖霊会(しょうりょうえ)の法要の部の終わりを知らせる舞として、欠かすことのできない演目です。
 その装束は、数ある舞楽装束の中でも最も豪華絢爛かつ複雑な甲冑装束を特徴としており、16からなる用具をすべて身に着けると、重さは実に15キロに達するといいます。今回の展示では、袍、兜(かぶと)、鎧(よろい)、太刀(たち)など11の用具が展示されています。両肩につける肩喰(かたい)、帯の前面につける帯喰(おびくい)など、古代中国の武人や仏教の武神(四天王など)がつけていたというデザインは非常に見応えがあります。





輪王寺の別装束
 栃木・輪王寺の舞楽装束は、三代将軍・徳川家光によって、寛永13年(1636)に調進されました。日光東照宮の大造替(だいぞうたい/神社や仏閣などの社殿・仏堂を建て替えたり、大々的に修理したりすること)と、徳川家康の21回忌にあわせてのことでしたが、実に800点を超える装束群が寄進されたのです。今回は実に45年ぶりの公開とのことですから、大変貴重な機会です。
 舞楽装束には、「別装束」と呼ばれる装束があります。これは、その演目以外で着用されることのない専用の装束です。先に紹介した四天王寺の太平楽装束も、太平楽専用の別装束でしたが、輪王寺の品を展示したコーナーには、さまざまな別装束が並んでいました。
 濃い萌黄(もえぎ)色の紗(しゃ)に、さまざまな色糸で千鳥が刺繍されているのは、「青海波(せいがいは)」の袍です。その下に重ねた下襲(したがさね)には州浜(すはま)や波模様が絞りや刺繍で施されています。紗は目が粗く、下襲(したがさね)の模様が透けて見えるのが、なんとも優雅です。『源氏物語』で光源氏と頭中将(とうのちゅうじょう)の2人が「青海波」を舞ったシーンを想像せずにはいられません。



 隣には濃い紫に金糸で鼠(ねずみ)が刺繍された袍が展示されていました。こちらは「林歌(りんが)」の装束です。この演目は、甲子(きのえね)の日や、11月の子の日(子祭)などに奏されたことから、鼠がモチーフとなっており、舞う際には「鼠甲(ねずみかぶと)」と呼ばれる甲を着けて舞います。前面には9匹しかいませんが、背面には15匹いるようです。近くで見ると、袍には五弁花に唐草(からくさ)をあしらった花唐草模様が地紋として織り込まれていて、手の込んだ作りであることがわかります。
 ほかにも童舞「迦陵頻」の袍や、「陵王」の毛縁裲襠、「陪臚(ばいろ)」の金襴縁裲襠なども展示されており、それらに施された意匠のユニークさ、刺繍や染織の見事さには目を見張らされました。



 最後のセクション「エピローグ」には舞楽図屏風(久隅守景/くすみもりかげ 六曲一双 紙本着色 江戸時代 17世紀/根津美術館蔵)が展示されていました。舞人たちの動きが、軽やかな筆致で描かれており、装束も細かい部分まで丹念に描写されています。図録によれば、舞楽図は鑑賞画であると同時に、舞の姿勢や、装束の詳細を描き込むことで、正当な舞楽の形式を伝える役割を担っていたとのこと。写真がない時代、絵画は記録でもあったのですね。

 舞楽装束には1000年以上の長い歴史があり、舞楽が宮廷や有力寺社で奏されていたことから、そのデザインや染織・刺繍などの技術には、当時の文化の粋が集められていたと思われます。本展は、それらを間近に感じることのできる機会です。舞楽装束の変遷を通して、華やかな色遣いや、大胆なデザイン・センスといった往時の人々の高い美意識に触れてみてはいかがでしょうか。

特別展 舞楽装束 受け継がれる染織の美
会場:根津美術館 東京都港区南青山6丁目5
会期:2026年10月24日(土)~11月23日(月・祝)
休館日:毎週月曜日 ただし11月23日(月・祝)は開館
開館時間:午前10時~午後5時(入館は閉館30分前まで)
詳細は下記サイトへ
https://www.nezu-muse.or.jp/jp/exhibitions/current/
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