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皇室と文化―その1 皇室が保持・継承する伝統文化とは

『皇室』バックナンバーより 第18回
令和8年5月8日
皇室が和歌を大切にし、雅楽(ががく)や蹴鞠(けまり)、正倉院宝物など
宮中文化を継承してきたことはよく知られている。
明治になると、美術工芸家の保護と制作を奨励する帝室技芸員制度を設置するなど、
皇室による学術・芸術への支援はより幅広いものへとなっていた。
現在も文化勲章受章者への勲章親授式、日本学士院・日本芸術院へのかかわり、
各種学会へのご臨席など、皇室のご存在は、文化振興の大きな一助となっている。
皇室と文化・芸術とのかかわりを紹介する。

(93号より)



和歌―宮中文化の継承者として
 さまざまな宮中文化の中で、皇室の方々ご自身が継承者として伝統の保持に努めてきたのは和歌である。平安時代から室町時代にかけて21もの勅撰(ちょくせん)和歌集を下命するなど、和歌を大切にされてきた。近代以降もその伝統は続き、明治天皇は生涯に約9万3千首もの歌を詠まれたという。
 現在も新年に「歌会始の儀」を行うなど、皇室における和歌の伝統は続いている。平成の御代(みよ)では、上皇陛下は国民体育大会(現・国民スポーツ大会)、全国植樹祭、全国豊かな海づくり大会で訪問された地方のお歌を必ず詠まれていた。皇族方も折に触れて歌を詠まれている。

明治天皇がよみがえらせた蹴鞠
 蹴鞠は約1400年前の大和朝廷時代に中国から伝えられたといわれている。『日本書紀』の記述などから、7世紀中頃には宮廷で広く親しまれていたことがわかる。平安時代になるとさらに盛んになり、宮中において鞠会(まりかい)がしばしば催されたという。江戸時代には一般庶民にまで普及したが、明治維新後は西洋化のあおりを受け、いったんは途絶えてしまった。
 しかし、明治36年(1903)、蹴鞠の作法を知る人が少なくなったことを憂慮された明治天皇の「蹴鞠を保存せよ」との思し召しを受け、同年、蹴鞠保存会が結成された。明治天皇からのご下賜金をもとに生まれた同会は、春と秋の「京都御所 宮廷文化の紹介」などの折に蹴鞠を披露している。



雅楽はユネスコ無形文化遺産
 雅楽とは日本古来の歌と舞、古代のアジア大陸から伝来した器楽と舞が日本化したものと、そしてその影響を受けて生まれた平安貴族の歌謡の総称で、10世紀ころに完成した。
「楽は個人並びに社会を和するものであり、社会の安定に通じる道徳心を養う」という儒教の教えがあり、宮中で管絃(かんげん)の宴が度々催されたことから、器楽演奏は天皇をはじめとする貴族たちにとって必須の教養であった。
 宮中での雅楽の管理伝習は、当初は雅楽寮(うたまいのつかさ)という役所や、楽人(がくにん)が担った。やがて雅楽伝承を家芸とする「楽家」(がっけ)が生まれたが、応仁の乱の際に四散。その後、安土桃山時代に楽人が都に呼び戻され、江戸時代には幕府によって宮中雅楽の復興が行われた。明治維新後は明治政府が京都・奈良・大阪の楽人を東京に招集し、雅楽局(ががくきょく/現在の宮内庁楽部/がくぶ)を創設。楽家以外にも雅楽の伝習が認められるようになった。
 昭和30年、宮内庁楽部の楽師(がくし)が演奏する雅楽は国の重要無形文化財に指定され、楽師は重要無形文化財保持者に認定された。楽部は皇室の祭祀や行事で演奏するほか、毎年、皇居内の楽部庁舎において毎年春秋2回定期演奏会を催している。要請に応じて地方公演や海外公演も行っている。平成21年にはユネスコ無形文化遺産にも登録された。

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