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赤星たみこの八街やちまたオバンギャルド・ライフ

畳の意外な効用—その4「かつて日本の家は同じルールでできていた」
令和8年2月24日
畳の意外な効用—その4「かつて日本の家は同じルールでできていた」

 日本人は間取り図を普通のものとして受け入れています。間取り図があることを不思議に思う人はいません。
 昔の日本の家にはいろいろな決め事があって、どの家も似たような作りでした。私の言う「昔」は、18世紀から第二次世界大戦前までの時期です。その頃の家をなぜ私が知っているかというと、それはまずテレビの時代劇。どれを見ても似たような作りでした。それはセットを作るときに同じ資料を参考にしたり、同じ古民家をロケで使うでしょうから似ていて当然なんですが。

 でも、子どもの頃に見た私の祖母の家(おそらく明治時代に建てられたはず)の間取りは時代劇の家とほとんど同じでした。土間と田の字に配置された座敷、水瓶(みずがめ)のある台所、薪をくべる竈(かま)。黒光りする板の間、細い格子の障子など、木枠の窓、そして土間が記憶に残っています。(でも、昭和40年代にはアルミサッシとプリント合板の家に建て替えられました…。残念!)
 大人になってからは、国立歴史民俗博物館や近所の武家屋敷を見に行ったりすると、確かに農家や町の家はどれも似ていました。それで「日本の家は同じルールでできている」と考えたわけです。
 そのルールはいつから始まったのでしょうか?
 AIに聞いてみると、古代の日本の家は竪穴住居、高床式倉庫、平地住居と、今とは全く違う作りでした。



 その後、貴族の家は寝殿造りに進化しましたが、これは室内の仕切りがほぼなく、格子戸や屏風や簾で区切る程度のものでした。畳はまだ全面に敷くほどは使われず、寝床として使うのみ。家の多くは板敷きでした。今でいうフローリングです。
 それが室町時代になると政治が貴族から武士へと移り、武家屋敷は書院造という形式に変化しました。書院というのは今でいう書斎のこと。書斎を置いて格式を重んじ、接客の場を作ったのです。畳も部屋の隅々まで敷き詰めるようになり、床の間、飾り棚、角柱(かくばしら)ができて、襖や障子で部屋を仕切るようになりました。また、居室とは違う役割の縁側、玄関もできました。これらは武家屋敷での建築様式で、庶民にはまだまだ手の出ない高価な家でした。

 しかし、17世紀になると建築職人が庶民の家も手がけ始めます。ここから庶民はこぞって武家屋敷をまねて畳を敷き、障子や襖で部屋を仕切った家を建て始めました。この基本のルールは次第に日本中に広まり、これが「和風建築」の基本となったのだと思います。
 また、家づくりは気候と地形に左右されます。昔は冷蔵庫がないのですから、暑い南側より、食べ物が簡単に腐らないようにするため寒い北側に台所を作りました。また、寝室も夏の暑さを避けるためには涼しい北側に作るのが適していました。トイレは、家相や風水の考えでは北東(鬼門)を避ける場合もありますが、たいていは臭い対策で居室から離れた位置に設置しました。

 昔の農家は日本全国どこでも広い土間と、囲炉裏が真ん中にある板の間、その周りに座敷、北側に台所というレイアウトが多いようです。畳敷きの座敷は個室にもなり、冠婚葬祭の場合は開け放って広間ともなるように作られています。気候の違い、裕福な家とそうでない家での差はあるでしょうが、機能の面ではたいてい似た作りになっているのです。



 写真は佐倉市の武家屋敷(旧河原邸)の台所です。パンフレットには「河原家が佐倉市鏑木小路(かぶらぎこうじ)に移ってきたのは天保6年(1835)12月とされています。旧河原家住宅の建築年代は、はっきりしませんが、弘化2年(1845)には存在していたことが文献資料によってわかっています。また、建築様式も、構造・部材の風蝕などに古い要素が見られ、佐倉に残されている武家屋敷の中では最も古いものと考えられています」とありました。私の祖母の家もこんな台所だったと記憶しています。



 こちらは、佐倉市の旧堀田邸。竣工は明治23年(1890)、木造、瓦葺。130年以上前の建物ですが、最近の建築でも和風の部屋はこれとほぼ同じです。畳、障子、鴨居、敷居と、基本になるアイテムはずっと同じなんですね。
(次回更新:3月10日予定)

前回はこちら https://www.nihonbunka.or.jp/column/yomimono/detail/100758

●赤星たみこ/1957年、宮崎県生まれ。千葉県八街市在住の漫画家にしてエッセイスト。映画化、ドラマ化された作品多数。猫と着物と生活の知恵を愛する石鹸ユーザー。
アバンギャルド(Avant-garde)とは、既成概念を打ち破り、前衛的で革新的な表現を追及する芸術スタイルのこと。オバンギャルドは、前衛的で既成概念を打ち破りつつ、長く生きてきたオバサンとしての矜持も併せ持つ生き方のこと。ワタクシ赤星の造語です。

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