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三菱一号館美術館「トワイライト、新版画―小林清親から川瀬巴水まで」
令和8年3月5日
 明治の浮世絵と新版画の名品を集めた展覧会が、東京都千代田区にある三菱一号館美術館で5月24日まで開催されています。



 新版画(しんはんが)とは、明治以降に廃れてしまった浮世絵の復興を目指し、明治40年前後から昭和時代に描かれた木版画を指します。伝統的な浮世絵の技法に、繊細な色彩や陰影といった「絵画的な表現」を取り入れて、一世を風靡しました。
 この新版画の起源となったのは、明治9年(1876)、最後の浮世絵師の一人と呼ばれる小林清親(きよちか/1847-1915)が刊行し始めた『東京名所図』でした。江戸から東京へと移り変わる町を、複雑で重層的な光の様相とともに描いた作品群です。清親の光と影の表現を重視した新しい様式の浮世絵は「光線画」と呼ばれ、その描写には失われていく江戸の面影を惜しむ人々の感傷を見つめる眼差しが感じられます。
 展覧会のタイトルにある「トワイライト」には、清親の陰影を重視した表現と、黄昏(トワイライト)から連想されるノスタルジックな眼差しの意図も込められています。2月18日に行われた内覧会で、担当学芸員の野口玲一(れいいち)さんは、次のように説明してくれました。
「明治を迎え、浮世絵は衰退していきました。そういう浮世絵の黄昏の時代に、清親は夕暮れから夜へと移る黄昏時の光に注目し、過去のものになりつつある江戸情緒を描きました。この展覧会では、新版画の起源となった清親の存在に注目し、清親が画面に留めようとした情緒や表現が、明治期から昭和初期の風景版画にどのように継承されていったかを検証します。また、当時、新しい表現のジャンルとして注目されていた写真との関わりにも焦点を当てています」



ミュラー・コレクションがアメリカから里帰り
 本展覧会の注目すべきポイントとして、出品された作品が、アメリカのスミソニアン博物館群のひとつである国立アジア美術館から里帰りしたものだという点も挙げられます。スミソニアン博物館は、アメリカの首都・ワシントンD.C.を中心に、動物園と21 の博物館からなる世界最大規模の複合機関で、国立アジア美術館は絵画、版画、漆芸、書、写真など15,000 点以上にのぼる日本美術コレクションで知られています。
 本展に出品される浮世絵・新版画は、ロバート・O・ミュラー(1911―2003)が蒐集し、寄贈したものです。彼はディーラーとしてアメリカに新版画を広める役割を果たした一方で、約4,500 点のコレクションを形成しました。吉田博(1876―1950)、伊東深水(1898―1972)、川瀬巴水(はすい/1883―1957)といった絵師たちを含むその新版画コレクションは世界最高峰と目されています。
 本展の共同企画者、スミソニアン国立アジア美術館学芸部長・日本美術主任学芸員のフランク・フェルテンズさんは、「本年はアメリカ建国250周年にあたります。国立アジア美術館でもさまざまなイベントを企画していますが、この展覧会はアメリカ国外で行う最大のものです。約120点の作品を貸し出すということは非常に大きな決断でしたが、これらの作品が生まれたのは日本ですし、建国250年という記念の年に、日米の文化交流の歴史を示す作品を日本のみなさまに見ていただけるのは名誉なことと思っています」と話してくれました。

スティーブ・ジョブズも故ダイアナ妃も新版画を飾っていた
 日本ではあまり知られていませんが、新版画は世界的に人気があります。セレブリティの間でも好まれており、アップルの創業者、スティーブ・ジョブズも画面をシンプルに見せる新版画の美意識を評価し、寝室の壁に飾っていました。とくに川瀬巴水がお気に入りでした。また、ロンドンのケンジントン宮殿にあった故ダイアナ元皇太子妃の執務室にも、吉田博の新版画が飾られていたそうです。



 では、さっそく展示室に向かいましょう。
 まずは、新版画の起源となった小林清親の『東京名所図』から「海運橋(第一銀行雪中)」を紹介します。第一国立銀行とは渋沢栄一が創業した銀行で、和洋折衷の建物は文明開化の象徴としてよく画題に取り上げられました。ただ、清親のこの絵は曇り空の下の雪景色を描いていて、文明開化から想起される明るく華々しい雰囲気とは異なる静けさを感じさせます。新しい建物を江戸の面影の中に描いて対比させることで、当時の人々のノスタルジックな気持ちに寄り添っているようです。
 清親は幕臣の家の生まれ。幕府滅亡後、剣術で食いつないだ後に独学で絵を学び、絵師となりました。そういった経歴も、清親に江戸情緒を思い起こさせる絵を描かせた理由のひとつかもしれません。



 こちらも小林清親の『東京名所図』から「大川岸一之橋遠景」。一之橋は隅田川東岸に流れ込む竪川(たてかわ)にかかる橋。月の光が道を照らすなか、二人引きの人力車が疾走する様子が描かれています。移ろいゆく光と濃い闇のコントラストは、確かにそれまでの浮世絵にはない新しい感じを受けます。



『東京名所図』からもう一点、「高輪牛町朧月景(たかなわうしまちおぼろづきけい)」。朧月とあるので時期は春なのでしょう。空にほんのりと明るさが残る黄昏時、明治5年(1872)に新橋横浜間で開通したばかりの鉄道が、煙をたなびかせて走っています。薄暮の空、暗い車体に、汽車のヘッドライトや煙突の炎、窓の灯りがよく映え、そこはかとない郷愁が呼び起こされます。



明治の新しい視覚体験、写真との出会い
 清親の「光線画」や、清親の表現を継承した新版画からは、明治初期に西洋人からもたらされた写真の大きな影響が見て取れます。写真は光と陰影によって対象をリアルに映し出します。清親とその後継者たちは、繊細な光の表現や、明暗のコントラストから生まれる表現を写真に学んだと考えられているのです。
 また、写真は絵の表現方法に新しさをもたらしただけではありませんでした。
 当時の日本の風景や人々の暮らしを記録した写真は、日本を訪れた外国人の土産として人気がありました。そこには、産業革命によって西洋が失ってしまった、美しくも素朴な暮らしへのノスタルジックな賛美が込められていました。しかし、当の日本は近代化を急いでいるわけで、江戸の名残を留める美しい面影は遠からず失われていくだろうということを清親たちは理解していました。写真は、西洋人の視線で日本を見るという視点を清親たちに与えたのです。この視点があるからこそ、彼らの絵は郷愁を呼び起こすのかもしれません。
 本展覧会では版画と写真とのかかわりを示す作品や、当時の写真も展示されています。

外国人も新版画の担い手に
 新版画の担い手のひとりに、浮世絵の技術を継承し、新しい時代の版画を創造しようとした版元の渡邊庄三郎(1885―1962)がいました。渡邊は、清親の見出した江戸への郷愁を引き継ぎ、絵師たちと協働して新版画を広める活動を展開しました。
 なかには外国人もいました。これはチャールズ・W・バートレット(1860―1940)の「神戸」です。



 バーレットはロンドン生まれで、水彩画の名手でした。大正2年(1913)、バーレットは夫婦で東洋へ旅立ち、日本滞在中の大正4年(1915)、渡邊庄三郎を訪問。渡邊に勧められ、日本各地を旅行して、インドを含む21点の風景版画を完成させました。
 新版画の絵師に外国人がいたというのは驚きでした。本展では、渡邊の手がけた作品として、伊東深水の『近江八景』、川瀬巴水の『旅みやげ第一集』、『東京十二題』といったシリーズも展示されています。

世界中に熱狂的なファンが
 ここからは川瀬巴水の作品を見ていきましょう。巴水は、明治16年(1883)に芝区露月町(ろうげつちょう/今の港区新橋)の生まれ。画家を志し、鏑木清方(かぶらききよかた/1878―1972)に入門し、巴水の号を授かりました。版元である渡邊庄三郎と出会い、さらに伊東深水の『近江八景』に触発されて木版画に興味を抱き、風景版画の制作を開始します。日本各地を旅して写生に基づく作品を数多く発表し、新版画の代表的な絵師として活躍しました。
 こちらは巴水の「東京十二題 春のあたご山」です。『東京十二題』は巴水が慣れ親しんだ東京の風景を描いた連作で、浮世絵の伝統を受け継ぐ図もあれば、従来の名所絵とは異なる風景や、斬新な構図の図もあります。愛宕(あたご)山といえば、東京湾を見渡せる高台の東屋(あずまや)や、愛宕神社を描くのが定番でしたが、巴水は愛宕神社の裏手で遊ぶ子供たちの姿を描いています。



 巴水は三菱とも関わりが深く、現在の清澄庭園(東京都江東区)である三菱深川別邸の絵も描きました。こちらが、その「三菱深川別邸の図 洋館より庭園を望む」です。



 深川別邸は元の名を「深川親睦園」といい、かつては下総国関宿(せきやど)藩の藩主・久世大和守(くぜやまとのかみ)の下屋敷でした。三菱の創業者である岩崎弥太郎がここを買い取って、明治13年(1880)に開園し、社員のための福利厚生施設や迎賓館として使用しました。大正9年(1920)、三菱社はこの別邸の風景版画制作を企画し、初めは鏑木清方に制作を依頼したのですが、清方が「風景なら巴水が適任だろう」と巴水を推薦しました。巴水は庭園と洋館、和館など全8図を制作。これらが海外の顧客向けのプレゼントとして配布されたため、巴水と版元であった渡邊庄三郎の名が海外に知られる機会になったといいます。本展の会場が深川別邸と同じく三菱によって建築された三菱一号館美術館(明治27年竣工)であるのは、運命的な巡りあわせだと思わざるをえません。
 
 清親から巴水までの作品を見ていると、令和の今に生きる私たちもなぜか懐かしいような気持ちになります。陰影に満ちた画面、美しく洗練された色彩、抒情的な画題……。世界中に熱狂的なファンがたくさんいるという新版画の魅力が伝わってくる展覧会でした。



トワイライト、新版画―小林清親から川瀬巴水まで
会期:2026年2月19日(木)~5月24日(日)
会場:三菱一号館美術館
※詳細は下記公式サイトへ
https://mimt.jp/ex_sp/shin-hanga/
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