読みもの
大鼓方・河村凜太郎さん「能楽公演のつくり方」<稽古篇>
中世にさかのぼる伝統芸能である「お能」は、知れば知るほど面白く、人をひきつけて離さない魅力があります。でも、古い時代の言葉づかいや、ゆっくりした抽象的な動きなど、予備知識なしでは難しく感じてしまうことも。
そんなお能の世界の扉をぐぐっと開いてくれるのが「月イチ能楽講座」です。関西の若手能楽師のホープたちによる、軽妙なトークに迫力ある実演を交えての解説は「わかりやすい!」「楽しい!」と評判。メンバーは現在、8月に予定している主催公演「月イチ能楽講座スペシャル『錦木(にしきぎ)』」に向けて稽古に励んでいるところ。そんな彼らに、能楽の公演を主催する面白さや苦労などを数回にわたって綴ってもらいます。

月イチ能楽講座
東京・大阪・京都で毎月開催、毎回お能の1つの曲(演目)を題材に、能楽師シテ方の大槻裕一(おおつき・ゆういち/写真右)、小鼓方(こつづみかた)の成田奏(なりた・そう/写真左)、大鼓(おおつづみ)方の河村凜太郎(かわむら・りんたろう/写真中)が、若いエネルギーとみなぎる情熱、関西ノリの話芸とキレのある技で、たっぷり解説。オモシロ企画満載のインスタグラムも必見。スマホアプリRadiotalkで聴ける「週イチラジオ」は毎週日曜日の18:30〜(予定)配信中。
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記憶との戦い
「能楽師という仕事をしていて、一番大変なことはなんですか?」
今の僕がそう質問されたら、まず初めに思いつくのは「毎日の覚えものが大変です」という答えです。自分の先生からひと通りの基本的なことを稽古してもらった後には、自分ひとりで稽古をして曲を覚えていく必要が出てきます。先生から技術的な部分は教えてもらえても、その曲を覚えることができるのは自分自身の力によってのみです。おそらくどの先生方、先輩方も同じく「覚えることの大変さ」を日々感じながらキャリアを積み重ねてこられたものと思います。
能の舞台を務めるには、この苦労は避けて通れません。謡(うたい)を覚える。型を覚える。囃子(はやし)の手組(てぐみ)を覚える。どれをとっても一筋縄でいくものではありません。カラオケで歌えるように好きな曲の歌詞を覚えるのとは訳が違います。能楽は長い歴史を持つ芸能です。現代人が普段使わない言葉もたくさん出てきますし、物語の舞台となる場所や人物も馴染みのないものが少なくありません。

では、どうやって覚えるのか。結局のところ、一番確実な方法は「謡いまくる」ことだと思います。囃子方にとっても、謡を身体に刻み込むことがとても重要です。何度も声に出して謡う。覚えたと思ってもまた謡う。忘れたらまた謡う。結局それしかないと言ってもよいほどです。スポーツで素振りを繰り返すように、楽器で音階練習を繰り返すように、能楽もまた反復によって身体に染み込ませていく芸能です。もちろん、最初はなかなか覚えられません。昨日覚えたと思った部分が今日には抜け落ちていることもあります。しかし、不思議なもので、100回謡ったものは100回分身体に残ります。200回謡ったものは200回分残ります。頭ではなかなか覚えられないなと思っていても、ある日突然、それまで苦労していた部分が自然と口から出てくる瞬間があります。そう考えると、稽古とは曲を身体に刻み込む作業なのかもしれません。
能楽の面白いところは、それが単なる暗記ではないということです。稽古を続けていると、節(ふし)の付け方一つにも先人たちの工夫や想いが込められていることに気づきます。「なぜこの言葉にこの節が付いているのか」「なぜここは強く謡うのか」「なぜここは進めて謡うのか」そうしたことを考えていくと、単なる音の並びだったものが、少しずつ意味を持ち始めます。たとえば、広々とした景色や時間の流れを描く部分では節の扱いもゆったりと広がりを感じさせたり、感情が高ぶる場面では自然と緊張感が生まれていたりします。
もちろん、すべてが分かりやすく対応しているわけではありません。しかし、長い年月をかけて磨かれてきた芸能である以上、そこには何らかの必然や美意識が潜んでいるはずです。そのことを意識すると、謡の一節一節が、単なる文字列ではなくなります。目の前に風景が現れ、人が現れ、感情が現れる。想像力が働き始めるのです。そして、想像力によって立ち上がった情景は、不思議と記憶にも残りやすくなります。ただ文字を追いかけているだけのときにはなかなか覚えられなかった箇所が、その場面を鮮明に思い浮かべられるようになると急に身体に入ってくることがあります。
僕は、これもまた稽古の大切な部分だと思っています。覚えようとするのではなく、謡を必死になって謡う。場面や景色、感情を思い浮かべながら何度も何度も謡う。すると、結果として覚えられている。そんなことが稽古をしているとよくあります。
ただ、そうは言っても、現実には充分な時間がありません。この1週間でこの曲の半分までは覚えて、来週には完璧に頭に入れようと思っていても、他の舞台や雑務に追われて予定していた半分も覚えられなかった――そんな状況も珍しくありません。

そこで、僕が近年、記憶定着の効率を上げるために行っているのが「内容を徹底的に調べる」という方法です。先述したとおり、謡は身体に染み込むまで徹底的に謡い込むのが一番であることは変わりありません。しかし、そこにさらに詞章の意味の理解が加わると、より頭に入りやすくなるのは自明かと思います。謡本を開いてひと通り謡い込んだら、辞書や解説書を開く。登場人物を調べ、土地を調べ、和歌や故事の出典を調べる。すると、それまで意味不明な文字の列だったものが急に立体的になります。
たとえば、「錦木」と書いてあるだけなら単なる二文字ですが、それはどのような物で、どのような文化・土地に根づく物なのか。その背景にある物語を知ると、そこには感情や景色が生まれます。すると記憶の引っ掛かりが増えるのです。ただ暗記するのではなく、物語全体の流れのなかで理解できるようになる。結果として覚える速度も上がります。
さらに、最近面白いと感じているのが、単語の語源や文字の成り立ちを調べることです。その演目とは全然関係のない方向へと飛躍してしまうこともありますが、語源や文字の成り立ちを調べると面白い発見があり、これもまた記憶の引っ掛かりとなります。これは僕にとって比較的新しい発見でした。普段何気なく見ている単語や文字も、その成り立ちを知ると全く違って見えてきます。
たとえば、ある漢字がもともとどのような形から生まれたのか、どのような意味を持っていたのかを知ると、その文字が急に生き生きとして見えてくるのです。謡本の中で、まるでそこだけ光を放っているように感じられることがあります。単語も同じです。古い言葉の語源や、本来の意味を知ると、その言葉の輪郭がはっきりします。すると不思議なことに、その部分が強く記憶に残りやすくなります。単なる「覚えなければならない文字列」だったものが、「意味を持った存在」へと変わるからでしょう。
僕はこれを、記憶のためだけでなく、能楽をより深く味わうための方法でもあると思っています。言葉の背景を知ることは、その作品を作り上げた人々の感覚に少し近づくことでもあります。これらの記憶を定着させるための行為の積み重ねが、結果として稽古を助け、演目への理解度も深めてくれるのです。能楽の稽古は決して楽なものではありません。覚えることは多く、時間もかかります。けれど、ただ反復するだけでなく、想像し、調べ、言葉の奥へと潜っていくことで、稽古は単なる暗記作業ではなくなります。むしろ一つの探検のようなものになっていくのです。

本番に向けた心構え
記憶との戦いが終わると、舞台へ向けた準備はほとんど終わりと言ってもいいと思います。ここまで謡い込むことについて書いてきました。大鼓を打つ稽古はいつしているのか? と疑問に思われるかもしれませんが、じつは大鼓を持って稽古することはほとんどありません。大鼓は舞台のたびに火鉢の近くに革をセッティングし、乾燥させてキツく締め上げて組み立てることで、カーンという甲高い音を出しています。それゆえ非常に消耗の早い楽器なので、自分の稽古のために大鼓を使うことは、まずありません。大鼓の音出しに関しては、日々の舞台のなかで自分のスイートスポットを探り、研究しています。自分の普段の稽古では、やはり謡い込むことが中心となっています。
記憶のために謡い込むなかで、舞台でどのように大鼓の「手組」を打つのか、おおまかなプランは立てています。手組とは、掛け声と音の組み合わせのことです。西洋音楽的に言うと「フレーズ」が近いでしょうか。この手組を、大鼓、小鼓、太鼓の三者が気合を持って打ち、謡や笛と掛け合います。手組を頭の中で想像し、あるいは手や「張り扇」と呼ばれる稽古用のバチのようなものを使って音を出し、謡い込みます。謡と同時に、実際の舞台を想像しながら大鼓の手組も記憶するのです。

大鼓は、能の音楽のリードを取っていく役割があります。詳しい説明は避けますが、大鼓は謡の出だしを決めたり、間を大きく引き締めるように打つことで、その後に続く小鼓や太鼓に推進力を与えたりなど、周りへ与える影響は非常に大きなものがあります。こういったことに重点的に意識を置き、実際の舞台に想像を巡らせながら稽古を重ねます。
表現が適切ではないかもしれませんが、あとは「出たとこ勝負」です。舞台では想定外のことが多く起こります。想像していたよりも謡がたっぷりしていたり、逆にさらさらと進んでいったりすることもままあります。ですから、せっかく入念にプランを練っても、その半分くらいは思いどおりにはいかないのです。しかし、それがまた面白さに繋がります。想定どおりに進んでいく舞台は、おそらくお客様にとっても面白みのないものでしょう。演者は常に舞台上で起こる〝想定外〟に瞬時に対応しながら、自分の意思や美学を主張し合う。しかし、全員でその演目がより良く完成する方向を目指していく。そのなかに独特の緊張感が生まれ、舞台が引き締まっていきます。

8月1日に控える「月イチ能楽講座特別公演『錦木』」の舞台でも、たくさんの〝想定外〟が起こるはずです。たとえば、後場(のちば)のシテの登場音楽「出端(では)」では、笛・小鼓・大鼓・太鼓の四者が、おのおの想像を巡らせながら「位(くらい=曲のテンポを含む重厚感や軽快さを表す言葉)」を持ち寄って演奏しますが、そこには必ず各人の思いが現れます。つまり〝想定外〟のぶつかり合いとなりますが、それが舞台に緊張感を与え、四者の演奏がぶつかり合いのなかで融合していくことで、単純ではない面白さをつくり出すのです。
稽古だけでは、舞台をつとめる力はなかなか身につきません。舞台に出たとき、そこで起きる様々な反応を吸収しようという心構えが、次の舞台、またその次の舞台のための糧となると思っています。そして舞台を終えてから、ともに舞台に立った先生や先輩方からいただくご指導は、まさに金言です。これもまた、次の舞台をより良いものとする糧となります。
舞台に立つ前の稽古、様々なことが起こる舞台の上、舞台を降りた後にいただくご指導、これらすべてを、また次の舞台に活かしていく――そんな個々人の連続的な営みが集まり、紐を撚(よ)るようにして、今の時代にまで残る能をつくり上げてきたのです。僕もその一端を担えるよう、次の世代に能という素晴らしい文化・芸術を伝えていけるように、日々の舞台をつとめていきます。

前回の記事[小鼓方・成田奏さん「能楽公演のつくり方」<演者篇>]は↓
https://www.nihonbunka.or.jp/column/yomimono/detail/100885