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お伊勢さまの御神木がやってきた!

連載 第6回 愛知県一宮市・真清田ますみだ神社
令和8年7月9日


 伊勢神宮(正式名称は神宮)では、20年に一度、御社殿と御装束神宝(おんしょうぞくしんぽう)を新たにして神様にお遷りいただき、神威のより一層の高まりを願う至高の祭典「神宮式年遷宮(じんぐうしきねんせんぐう)」が斎行されています。
 第63回神宮式年遷宮では、令和15年に神様を新宮(にいみや)にお遷しする遷御(せんぎょ)が行われる予定です。令和7年5月から開始されているその諸祭儀の模様は、季刊誌『皇室』の連載「第63回神宮式年遷宮」で詳しくお伝えしています。
 この連載では誌面で紹介しきれなかった令和7年6月初旬の「御神木奉迎送(ほうげいそう)」をご紹介。木曽地方で伐り出された新宮ご造営のための御神木が、およそ1週間をかけ、長野、岐阜、愛知、三重の各県下で熱烈な歓迎を受けながら伊勢へと運ばれていった様子をお伝えします。




熱気の名残

 前回お伝えしたように、令和7年6月7日、裏木曽発の御神木(上図の青色ルート)が岐阜市に到着するのを見届けた後、木曽発の御神木(同赤色ルート)を追いかけるべく、愛知県一宮市へ向かいました。

 一宮駅から、今宵、御神木が宿泊する真清田(ますみだ)神社へと急ぎます。途中のアーケード商店街で、神宮を表す「太一」の文字入りの法被(はっぴ)姿の数人とすれ違いました。「奉祝 御神木奉迎送」のバナーがかかるこのアーケード街では、御神木の奉曳(ほうえい)が行われたのですが、惜しくも間に合わず。


 奉曳の様子を目にすることができず残念に思っていたところ、幸いにも愛知県神社庁様から写真をお借りすることができました! こちらの写真をご覧ください。


 アーケード内では大勢の人たちが参加して、盛大な奉曳が行われた模様。その熱気が写真からも伝わってきますね。愛知県神社庁様、ありがとうございます!

 さて、アーケードを抜けると、正面に真清田神社の威風堂々たる楼門(ろうもん)が目に飛び込んできます。筆者が到着したとき、やはり御神木奉迎送のバナーがかかったその楼門からは、人が溢れていました。どうやら御神木は境内に到着している模様。


 前回、前々回の神宮式年遷宮でも御神木をお迎えしてきた真清田神社。社伝によれば、その創建は神武天皇33年と古く、主祭神の天火明命(あめのほあかりのみこと)は、伊勢の神宮がお祀りする天照大御神(あまてらすおおみかみ)の御孫神ともされます。本殿の御扉(みとびら)などに神宮から下賜された古材が用いられていることからも、神宮とのゆかりの深さがうかがえます。印象的な社名は、もともとこの地域が木曽川の水を引いた水田地帯で、清く澄んだ水によって水田を形成していたことに由来するそうです。

 また、真清田神社は尾張国一宮でもあります。「〇〇国〇宮」とは、律令制の時代、中央から派遣された国司が国内の有力神社を巡拝した際、その有力神社の最上位を一宮とし、他の神社を二宮、三宮……と序列化したことに始まる呼称です。全国に一宮町は複数ありますが、市名となっているのはここ愛知県一宮市のみ。一宮市は、尾張国一宮である真清田神社を中心として発達した町なのです。

 御神木の到着から間もない境内には、人々の興奮の余韻が漂っています。人垣を掻き分けるようにして進むと、ご本殿前に竹矢来と鯨幕(くじらまく)に囲まれた奉安所が。その中に、御神木のトラックが奉安されていました。この連載でお伝えしてきたとおり、昨日、長野県上松町を発ち、愛知県犬山市に1泊して今日、この地に到着した青いトラックです。

 御神木を前にした祭場には大きなテントが設けられ、これから始まる奉迎祭に参列する人たちが席に着いています。そのなかに、見覚えのある紺地に月星の柄の浴衣姿の人たちが。そう、御神木が出発した地、長野県上松町からやってきた方々です。今日の一宮での奉曳で木曽の木遣(きや)りを披露したとのことで、木曽ヒノキ製の幣束(へいそく)を手にしています。木曽から尾張へとつながる人と文化の交流が、この20年に一度の御神木のお祭りを通して、こうして続いているんですね。


 18時からの奉迎祭は、国歌斉唱に始まり、真清田神社の神職が神饌(しんせん)を献じて祝詞(のりと)を奏上(そうじょう)した後、関係者らにより玉串(たまぐし)が奉奠(ほうてん)されました。



御神木を機に郷土芸能が復活

 奉迎祭が終わってテントを出ると、御神木を前にした境内の一角で、さまざまな芸能の奉納が始まりました。なかでも「北方(きたがた)ばしょう踊」は、一宮市北方町に伝わる雨乞いの踊りで、430年ほど前、織田信長が岐阜城を攻めて勝ち、凱旋したときの祝いに踊った「凱旋踊り」に由来するそう。県の無形民俗文化財にも指定される郷土芸能です。

 真清田神社の神職・塚越啓陽さんは「北方ばしょう踊は、コロナ禍で途絶えていたのですが、今回の御神木祭を機に復活させようということになり、この日のために子供たちも練習を重ねてきました。地元の芸能がこうしたかたちで受け継がれていくことは意義深く、次の世代につなげていく良い機会。子供たちにとっても良い思い出になると思います」と話してくれました。


 胸に太鼓をつけ、背に芭蕉(ばしょう)の葉に見立てた指物(さしもの)を背負った「武将」役と、鉦鼓(しょうこ)を手にした子供の「鉦擦(かねすり)」役とが交互に輪になり、笛の調べと唄にのせて、太鼓と鉦鼓を打ち鳴らしながら踊ります。

 武将役が背負う指物は、身長の倍ほどはあるでしょうか。竹を1年の月数である12本に割り裂き、その中央に御幣(ごへい)を立て、1年の日数である365枚の緑・金(黄)・銀(白)・赤・紫の5色の紙が付けられています。ゆったりした笛と唄に合わせて、武将役と鉦擦役が、くるり、くるりと回りながら踊り、輪が回転していきます。暮れなずむ空を背景に、指物が華やかに回ります。

 ばしょう踊りの奉納が終わるころには、辺りはすっかり暗くなっていました。これから夜を徹して御神木の夜警(やけい)に入ります。神職と奉賛会の方々が交代で御神木の番を務めます。


 テントの手前では、御神木に手を合わせ、お賽銭をあげていく人たちの姿もありました。


 明朝、御神木は真清田神社を発ち、三重県桑名市へ向かいます。


(次回に続きます)

[取材・文/中尾千穂]


第5回「岐阜県岐阜市・金(こがね)神社」は↓
https://www.nihonbunka.or.jp/column/koushitsu/detail/
第4回「愛知県犬山市・針綱(はりつな)神社」は↓
https://www.nihonbunka.or.jp/column/koushitsu/detail/100877
第3回「木曽から伊勢へ向けて出発」は↓
https://www.nihonbunka.or.jp/column/koushitsu/detail/100876
第2回「護山(もりやま)神社での御神木祭」は↓
https://www.nihonbunka.or.jp/column/koushitsu/detail/100871
第1回「上松町(あげまつまち)での『お木曳(きひき)行事』」は↓
https://www.nihonbunka.or.jp/column/koushitsu/detail/100628

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