読みもの

お能の扉、開けといたよ

presented by 月イチ能楽講座 第2回
令和8年1月16日
小鼓方・成田奏さん
「お能に興味のなかった僕が、能楽師になるまで」#2


 中世にさかのぼる伝統芸能である「お能」は、知れば知るほど面白く、人をひきつけて離さない魅力があります。でも、古い時代の言葉づかいや、ゆっくりした抽象的な動きなど、予備知識なしでは難しく感じてしまうことも。
 そんなお能の世界の扉をぐぐっと開いてくれるのが「月イチ能楽講座」です。関西の若手能楽師のホープたちによる、軽妙なトークに迫力ある実演を交えての解説は「わかりやすい!」「楽しい!」と評判。そのメンバーによる本連載、小鼓方の成田奏さんに能楽師になるまでの道のりを綴っていただいています。


月イチ能楽講座
東京・大阪・京都で毎月開催、毎回お能の1つの曲(演目)を題材に、能楽師シテ方の大槻裕一(おおつき・ゆういち/写真右)、小鼓方の成田奏(なりた・そう/写真中央)、大鼓方の河村凜太郎(かわむら・りんたろう/写真左)が、若いエネルギーとみなぎる情熱、関西ノリの話芸とキレのある技で、たっぷり解説。オモシロ企画満載のインスタグラムも必見。
⚫︎講座のお申込・開催スケジュール・詳細は↓
https://www.instagram.com/noh_once_a_month/



6歳6月6日から小鼓の稽古をスタート


 保育園の向かいの小学校に入学し、数えで6歳6月6日より小鼓の稽古が始まった。習い事はじめの慣習があり、「芸道上達に良い日」ということらしい。「じゃあ3~4歳からの謡と仕舞の稽古はどうなの?」なんて、言わないのもお行儀だろう。
 父が修行した小鼓方の流派のひとつ、幸流(こうりゅう)の名門である京都の曽和(そわ)家に入門し、以降の僕はずっと曽和正博師に師事することになる。能楽は技芸の継承を世襲で行うことが多く、親が子を弟子とするケースは多い。しかし立場や環境によっては、「親の師匠」にその子が師事することもある。流儀の名門の家系でなければ自然そうなるので、むしろ「親の師匠」に師事する場合の方が多い。


 能楽師の家の出身でなくても能楽師になる人もいて、僕の父がそうだ。前にも書いた僕の名づけ親のひいおばあちゃん、父の祖母は、能楽が大好きで、素人(しろうと)ながら謡と小鼓の稽古をしていた。ひいおばあちゃんが亡くなったとき(僕は子供だったので覚えていないが)、お葬式で謡を謡って追悼したほどだ。そのひいおばあちゃんが、孫である父と叔父に小鼓を習わせた。父が10歳のときのことだ。中学生になった父は、プロを目指す玄人(くろうと)弟子になった。能楽師の家の子でもない中学生が、自分でプロになることを決めたというのは、早い決断だと思う。


 僕の話に戻ろう。京都の師匠邸にて初めての稽古をつけていただいたが、稽古の記憶はあまりない。あまりというかほぼない。正直その頃は能楽に関心もなく、父に決められたことをやっていただけ。神戸の六甲にも師匠のお稽古場があり、月一回稽古に通っていた。ついでに言うと、ピアノ・エレクトーンを3歳頃から習っていたが、それも母に決められたのだろう。


 小鼓もエレクトーンも毎年数回、発表する機会があり、緊張するということについては、このころ体感した。とにかく稽古や練習をしないから、自信がないまま、子供ならではの記憶力でなんとか続けていた。発表会に出ると、両親はなんとかやらせようとしていたのだろう、ご褒美がもらえた。それがせめてもの救いで、ご褒美のために続けていたのだろうと思う。ちなみに、「ご褒美は何がいい?」と訊かれると、僕の答えはいつも「ゲーム」だった。


 小鼓は、そこまで厳しく稽古を受けた記憶はない。だが父が師匠と接する様子は、なんとなく畏れ敬っていたので、稽古の時に無駄話はせず聞かれた事だけ話した。当時どんな稽古をしていたかは、これも記憶がない。「小鼓は音を出すのが難しい楽器」といわれることもあるが、子供は柔軟で、先入観なく教えられたとおりにやるので、音もわりと出やすいものだ。小学校高学年になったとき、「もう本を持ってくるな」と言われたことは覚えている。「本」とは手付(てつけ)という小鼓の楽譜のようなもので、能楽の曲(演目)ごとに決められた打ち方を「手」という。つまり、譜面を見ながら打つのではなく、暗譜してこい、というわけだ。


 家では、僕が朝起きるころ、よく父が鼓を打つ音が聞こえていた。お弟子さんの稽古のために録音したり、稽古したりしていたのだろう。母は家で姉にエレクトーンやピアノを教えることもあった。そんなわけで、音楽が身近にある環境だったとは思う。

 父は仕事で家にあまりいなかったが、時折、帰宅後に稽古をつけてもらった。僕の小鼓の発表会の前などに教えてもらうことが多かったと思う。厳しい稽古ではなく、ちゃんと手を覚えているか確認するかんじだろうか。父は、僕が発表会できちんと演奏できるよう、気にしてくれていたのだと思う。でも、僕のほうはというと、照れていたり、かっこつけているような雰囲気で、面倒くさそうに稽古を受けた。そんな様子の子供を怒鳴りつけなかった父は辛抱強い。そのたびに怒られていたら、いったいどうなっていただろうか。

 そんなこんなで習い事は続けていたが、小学5年のころ、自分から友達と一緒に塾に通うことを決めた。それまで積極的ではなかった子がやる気を出すときがある。それはたいがい友達や仲間の影響で、僕もそうだった。この頃から自分のやりたいこととやりたくないことが明確化してきて、「親に決められたことはやりたくない」と思うようになり、やがて思春期を迎える。

<続く>
#1の記事は→https://www.nihonbunka.or.jp/column/yomimono/detail/100769
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