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お伊勢さまの御神木がやってきた!

連載 第10回 伊勢に到着<内宮(ないくう)編>
令和8年8月20日


 伊勢神宮(正式名称は神宮)では、20年に一度、御社殿と御装束神宝(おんしょうぞくしんぽう)を新たにして、神様にお遷りいただく祭典「神宮式年遷宮(じんぐうしきねんせんぐう)」が斎行されています。
 第63回神宮式年遷宮では、令和15年に神様を新宮(にいみや)にお遷しする遷御(せんぎょ)が行われる予定です。令和7年5月から開始されているその諸祭儀の模様は、季刊誌『皇室』の連載「第63回神宮式年遷宮」で詳しくお伝えしています。
 この連載では誌面で紹介しきれなかった令和7年6月初旬の御神木の奉迎送(ほうげいそう)をご紹介。木曽地方で伐り出された新宮ご造営のための御神木が、およそ1週間をかけ、長野、岐阜、愛知、三重の各県下で熱烈な歓迎を受けながら伊勢へと運ばれていった様子をお伝えします。



宇治橋前にご到着

 前回お伝えしたとおり、上松町発と中津川市付知町発の御神木は、令和7年6月8日に三重県桑名市で合流し、桑名宗社にご宿泊。翌9日朝、内宮(皇大神宮/こうたいじんぐう)御用材は上松町発のトラック、外宮(豊受大神宮/とようけだいじんぐう)御用材は中津川市付知町発のトラックに積み替えられ、伊勢へ向けて出立(しゅったつ)しました。
 
 この日、筆者は御神木の到着を見届けるべく、伊勢市・内宮へ向かいました。折しも東海地方は今日が梅雨入り。昼前から降り出した雨にもかかわらず、正午ごろには内宮の表玄関である宇治橋前には人の輪ができ、伊勢音頭などに合わせて女性たちが踊りを披露しています。

 たくさんの人たちが待つなか、宇治橋前にあの青いトラックがやってきました(上写真)。木曽地方の御杣山(みそまやま)で伐り出されてから4~6日の旅を終え、ついに御神木が内宮に到着したのです。お迎えした人々から拍手が沸き起こります。

五十鈴川を遡る

 宇治橋前での式典後、御神木はこれから行われる「御樋代木奉曳式(みひしろぎほうえいしき)」のため、宇治橋下流の五十鈴川畔へ運ばれました。御神木の正式名称である御樋代木(みひしろぎ)とは、御神体をお納めする御器(みうつわ)である「御樋代」を奉製する御料木(ごりょうぼく)で、神様の最も近くに用いられることから、遷宮の御用材のなかでもとくに尊ばれています。かつて御杣山で伐り出された御用材は、木曽川を流送し、海路で伊勢の大湊(おおみなと)にあった神宮の貯木場に運ばれました。ここから内宮御料は御木曳橇(おきひきそり)に載せて五十鈴川を曳き上げ、外宮では宮川の度会橋(わたらいばし)付近から御木曳車に載せて、それぞれの宮域に曳き入れられていました。第60回式年遷宮(昭和48年斎行)以降、御用材は陸送となりましたが、現在も古式に倣い、内宮では川曳(かわびき)、外宮では陸曳(おかびき)で御樋代木を宮域内に曳き入れる「御樋代木奉曳式」が行われています。「御神木の奉迎送」とは別の行事ではありますが、以下にその模様を紹介していきましょう。


 多くの報道陣とともに宇治橋上で待機していると、しだいに雨脚が強まってきました。川の水量も増えてきたように見えます。しばらくすると、遠くの川の中に黒い法被(はっぴ)に笠を被った人たちの列が見えてきました。


 白い曳き綱を手にした人たちの黒法被の背には「太一」の文字が白く染め抜かれています。これは神宮を表す言葉で「たいいつ」「たいいち」「たいち」などさまざまな読み方があるそう。彼らは遷宮の準備を担う組織「神宮式年造営庁」(以下、造営庁)の職員で、ビシッと決まったそろいの装束は、この日のために誂えたものだとか。木を薄く削って束ねた「采(ざい)」を威勢よく振り、「エンヤ!エンヤ!」のかけ声で、水かさの増した五十鈴川を、御木曳橇を曳いて進んできます。


 見るからに新しい素木(しらき)でできた御木曳橇は3基あり、御樋代木が1本ずつ載せられています。一番橇には木曽の御杣始祭(みそまはじめさい)で奉伐された御樋代木、二番橇には裏木曽御用材伐採式で奉伐された御樋代木、三番橇には木曽で奉伐された予備の御樋代木が奉載されています。伊勢までの道中、トラックに載せられていた御樋代木は清筵(きよこも)と清薦(きよむしろ)を纏っていましたが、御木曳橇に載せる際にそれらは取り払われています。

 これら3基の御木曳橇を、総勢約100名の造営庁職員が曳きます。橇から前方にのびる2本の綱を曳き手が曳き、両綱の間では采を手にした木遣子(きやりこ)が「エンヤ!エンヤ!」と勇ましく音頭を取ります。綱の前方では、長い棹を手にした2名が川中を進むルートを探り、後方では、橇を操る梃子方(てこかた)が御樋代木を護衛するように囲んでいます。曳き綱は長く、なかなか御木曳橇が見えてこないほどです。

 降り続く雨の中、難所の瀬を越え、場所によっては肩まで水に浸かり、大事な御樋代木を粛々とかつ慎重に曳き上げていきます。宇治橋にさしかかると、橋の上が人払いされました。神様の御料である御樋代木の上に人がいたり、見下ろしたりするのは慎むべきことなのです。

 一行は宇治橋を過ぎると、御手洗場(みたらし)を経て、五十鈴川の支流・島路川(しまじがわ)に入り、風日祈宮橋(かざひのみのみやばし)へと進みます。先回りして風日祈橋へ移動してみると、橋の北詰西側(下流側)に木製のスロープが仮設され、ヒノキの芳香が漂っています。このスロープから御木曳橇を曳き上げるのです。


 しばらくすると、五十鈴川から島路川へ入る場所に、一番橇を曳く隊列が見えてきました。島路川へ入った隊列は「エンヤ!」のかけ声でこちらへ向かって進んできます。同時に、島路川畔を御樋代木に供奉(ぐぶ)する神職と小工(こだくみ)と呼ばれる造営庁職員が進んできます。


 スロープの手前まで御木曳橇を曳いてくると、梃子方が巧みに梃子を使って橇の向きを変えます。曳き手がスロープ上に並び直して準備が整うと、「エンヤ!」の号令で、御樋代木を曳き上げます。


 御樋代木はするするとスロープを滑るように上がっていきます。川から曳き上げられ、風日祈橋の石段下で停止した御樋代木を間近で見ると、濡れた表皮が黒々として、大きく見えました。


 続いて、二番橇、三番橇も同じように次々とスロープを上がりました。3本の御樋代木が風日祈橋の石段下に並び置かれると、神職さんが御樋代木を改めます。

 その後、御樋代木は御木曳橇に載せられたまま、1本ずつ参道を曳かれていきます。神域では、曳き手は黒法被の人たちから、白丁(はくちょう)と呼ばれる白装束に身を包んだ人たちにバトンタッチして、声は出さずに静かに曳きます。

 3本の御樋代木が御木曳橇から下ろされ、御正宮(ごしょうぐう)に近い五丈殿(ごじょうでん)内に奉安されると、内宮の御樋代木奉曳式は終了しました。


(次回に続きます)

[取材・文/中尾千穂]

第9回「三重県桑名市・桑名宗社(くわなそうしゃ)」は↓
https://www.nihonbunka.or.jp/column/koushitsu/detail/100928
第8回「三重県桑名市・引継式(ひきつぎしき)」は↓
https://www.nihonbunka.or.jp/column/koushitsu/detail/100930
第7回「愛知県津島市・津島神社」は↓
https://www.nihonbunka.or.jp/column/koushitsu/detail/100927
第6回「愛知県一宮市・真清田(ますみだ)神社」は↓
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第5回「岐阜県岐阜市・金(こがね)神社」は↓
https://www.nihonbunka.or.jp/column/koushitsu/detail/100897
第4回「愛知県犬山市・針綱(はりつな)神社」は↓
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第3回「木曽から伊勢へ向けて出発」は↓
https://www.nihonbunka.or.jp/column/koushitsu/detail/100876
第2回「護山(もりやま)神社での御神木祭」は↓
https://www.nihonbunka.or.jp/column/koushitsu/detail/100871
第1回「上松町(あげまつまち)での『お木曳(きひき)行事』」は↓
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