連載[第50回]

孫世代の遺族たちのそれぞれの思い

硫黄島に触れた時 連載 第50回
令和8年7月7日

■連載[第50回]
茜色の庭先で その4

●もう一つの思い
 硫黄島に行って松岡さんには、先の戦争に関する思いとは別に、もう一つ感じたことがあった。それは、戦地のいたるところで多くの若い人たちが戦って亡くなったが、彼らは一体、何を守ろうとしたのか、ということだった。
「平和憲法があって徴兵制は無理だし、そんなことをしてはいけないと思うんですけど、この国の成り立ちといったことを知るために、例えば“徴農制”といったものがあってもいいのではないかと思うんです。
 今、やたらとITとかAIなど最先端のことが取り沙汰されていますが、農業にしろ林業にしろ漁業にしろ、自分たちが生きているこの国土がどういうものかということを知り、実際に土をいじったり水に触れたりする。米作りなどを集団でやって目上の経験者に教えを請えばいろんなことを体を通して学ぶことができるわけです。
 木など育つには何十年、何百年とかかります。座学ではいろいろ教えますが、下草を刈って、木を植え、畑を耕すなど、農業高校などでない限り実際にはやりません。また、高校無償化など制度的に与えることはけっこう考えますけど、一定の義務を課してもいいのではないかと思うんです。
 人生百年時代などと言われて、その長い人生の中で、1年とか2年、中学や高校時代にそういうことがあってもいいのではないでしょうか。若い時分に汗を流してやってみることは無駄ではありません。
 叔父は、これからという25歳の時に亡くなりました。戦争の悲惨さを伝え、決して繰り返されないように訴えていくことは大事なことなんですけど、一方で、その土台を考える取り組みも重要なことではないかと思うんです」
 松岡さんの言葉に熱がこもる。こういうふうに思うのには松岡さんの仕事にも関係があった。司法書士という仕事柄、土地の名義変更の手続きをすることも多い。そんな時によく聞くのが、「あんな畑いらないんだよな」とか「あんな農地があったって」というつぶやきだった。自分も農業はしていないし、依頼者に様々な事情があるにせよ、「あんなもの」という言葉を聞く度、心の奥底には「昔から大事に開墾してきたものでしょう」という思いが募っていたのだ。さらには昨年には、「瑞穂の国」の主食であるはずのコメが不足するという事態まで出来したのである。
(続きは7月14日掲載予定)取材・文/伊豆野 誠

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