
■連載[第48回]
茜色の庭先で その2
●松岡家の歴史
ここで疑問に思うのは、3人の兄弟の中で松岡さんだけが、父親の叔父に対する思いを印象深く覚えていることである。硫黄島に行こうと思い立ち、実際に渡島したのも松岡さんだけだった。
その答えは、兄たちと大きく歳が離れていることと関係があるようだ。松岡さんは言う。
「自分が小学生の時、兄は高校生や大学生で、中学を卒業する頃には働いていましたから」
なにしろ上の兄とは7歳、長兄とは8歳も違うのだ。松岡さんに家の歴史を振り返ってもらった。
父・松岡利雄は大正6年(1917)に栃木県の佐野で生まれた。2歳違いの姉・志づ子と3歳違いの弟・義郎がいた。両親は松岡末吉と
父・利雄は尋常高等小学校しか出ていない。現在でいえば中学校である。家の事情だったらしく、そのことをずっと悔しがっていたという。学校卒業後、どのようにしていたのかは分からない。伯母や叔父の当時のことについても聞いたことはなかった。
先に触れたように父親・利雄はニューギニアから復員し、1~2年は佐野の実家でマラリアの療養に務めたようだ。なんとか快復し、おそらく親戚などの紹介で母親・壽子(ひさこ)と結婚した。そう思うのは母親も栃木出身だったからだ。そして、昭和24年(1949)に長兄の義明、翌年の25年(1950)に次兄の毅(たけし)が生まれた。
松岡さんが生まれるのはそれから7年後だが、それは佐野ではなく宮崎県の日向(ひゅうが)市だった。そこは父の姉・志づ子が嫁いだ土地で、父親は同地で仕事をしていたのである。
時代は戦後の混乱期だ。生活するのだけでも大変で仕事も親戚などを頼って見つけていたのである。あるいは伯母に頼まれたのかもしれない。宮崎にいたのは1年ほどで、翌年には栃木に戻り、かつては銅山で有名だった足尾町に移っている。やはり親戚がいて、そこに仕事があったのだ。足尾では、当時は国の専売だった塩・煙草を扱う食料品店で父は働いていた。そして、松岡さんが小学校に上がる頃、祖父が営んでいた佐野の実家の商店に戻った。
ちなみに祖母は大正12年(1923)に亡くなっているから、父親たちきょうだいが3歳~8歳の頃だ。祖父は一人で商店を営み、父親たち子供を育てたことになるが、ここも詳しいことは分からない。いずれにしろ松岡さん一家が佐野の実家に戻ったのは祖父が58歳の頃だった。
(続きは6月30日掲載予定)取材・文/伊豆野 誠

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