
■連載[第51回]
茜色の庭先で 最終回
●公害と検事
ここで松岡さんが司法書士になるまでを振り返りたい。
先述のように、松岡さんは宮崎県で生まれ、小学生から栃木県の佐野で育った。小学校1年生の時に、昭和39年(1964)の東京オリンピックがあり、東京・大阪間に新幹線が開通した。時代はまさに高度成長期だった。しかし、松岡さんいわく、佐野は刺激的なものは何もなく、のんびりしている田舎町だった。農業に従事している人もいたが、近郊の工場や会社勤めの人も多かった。
そんな中、松岡さんは、兄たち同様、地元の小・中学校に通い、県立佐野高校に通った。三男ということもあり、のんびりゆっくり育ったという。
大学は東京の私立の法学部に入った。その大学を選んだのは受かった中で、学費が一番安かったためである。もともとは検事を目指していた。きっかけは中学時代のある出来事だった。小中の頃は理科系の科目が好きで、特に観察や実験が好きだった。
「時々、釣りに行っていた川があったんです。でも、中学の頃に、大人の人たちが、もうあそこの魚は食べられないね、と言っていたんです。奇形みたいな魚が釣れることがあったんですよ。近くにできた工業団地からの廃液が原因だと思うんですけどね」
松岡さんが小中学生だった1960年代は、水俣病はじめ光化学スモッグなど公害問題がクローズアップされた時代だった。昭和42年(1967)には公害対策基本法が施行されている。
「そういう実体験もあって、そのような企業の姿勢は社会正義に反することではないのかと、子供心にも思ったんです。企業犯罪といったものに対して法の裁きを受けさせるんだと漠然と考えていました」
そうして調べていくと、裁判所に審判を申し立てる公訴権を持っているのは法曹資格の中でも検事しかないことを知った。
「検察の特捜部が大きい事件を暴いてニュースになったりしてましたしね。そういうのに憧れたんでしょうね」
しかし、大学に入って、司法試験に合格するのは自分には無理だとすぐに悟った。それでも、卒業後、司法書士の事務所に入り、資格を取って現在に至っている。
試験に合格したのは父親が亡くなる前年だった。「良かったね」と言ってくれた。翌年、大学の同級生と結婚した。26歳の時だった。両親の希望が隔世で実現したのか女の子2人に恵まれた。母の壽子は平成11年(1999)に亡くなったが、孫たちが成長する姿を見せることができた。兄たちの家には男の子も生まれている。実家も商店も母親が亡くなって処分してしまったが、長兄の家族は現在では佐野にいて、叔父も入っている墓は長兄が守っていくことになるだろう。

●平和教育と硫黄島
松岡さんが司法書士として独立し、自らの事務所を開いて令和8年で36年目を迎える。ずっと奥様と2人三脚でやってきた。時には娘も手伝ってくれる。
「遺産相続のことなど、あまり深入りしたくないようなことばかりです。あまりに気持ちを入れすぎると身がもちません。こういう言い方は適当ではありませんけどね」
顔に笑みを絶やさず松岡さんは言う。
中学生の時に漠然と思った社会への憤りと、一般の人々が司法事務所に持ち込むさまざまなトラブル。現在の仕事は、若い頃に憧れたニュースになるようなドでかい話ではない。しかし、事態の大小に関わらず、司法書士という存在がなければ解消しがたいトラブルは多い。むしろ、だからこそ、この社会にうごめく様々なきしみを肌感覚でとらえているともいえる。
栃木県の中でも佐野は空襲をほとんど受けていない。だからか、松岡さんは学校で「平和教育」を受けた記憶はない。「少なくとも学校で戦争体験を聞くといったことはなかった」。一方で、近郊の宇都宮市や、群馬県太田市の被害は甚大だった。太田市には「隼」や「疾風(はやて)」といった戦闘機を作っていた中島飛行機の製作所があったためだ。
それでも「自分にとっては、身内に戦死者がいたという事実が大きかった」と松岡さんは言う。
その長い思いの結節点が、硫黄島に行って手を合わせるということだった。渡島してからは新たな思いが募った。それは、この国とは、そして私たちが作ってきた社会とは何なのか、ということだった。叔父を含め亡くなった若い人たちは、直接的には上からの命令に従って、やむなく敵と戦って散っていったのだろう。しかし、だからこそ、焼け野原になった敗戦を経て奇跡の復興を遂げ、様々に事態が急変する今という時代に、その“地層”を再認識していかなくてはならないのではないか、と思うのだ。
その原点は、暗くなるまで父親と過ごしたあの夕刻の時間だったに違いない。たわいもない会話の中に去来した父の胸の内がなんだったのかは分からない。口にしたくてもできなかった何かだ。ただ、そこが、家族の風呂をわかすために薪を整えた茜色の庭先だったことは確かである。(了)
(次回は7月21日掲載予定)取材・文/伊豆野 誠
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